『幸福の限界』(こうふくのげんかい)は、石川達三の長編小説。1947年(昭和22年)5月13日から8月24日にかけて『中京新聞』、その他地方新聞で連載され、1948年9月に蜂書房より単行本として刊行された。のち1954年(昭和29年)3月に新潮文庫として刊行され、1957年10月の『石川達三作品集』第7巻に収録されている[1]。
ある年の暮れ、高松省子は娘を連れて渋谷の実家に帰って来た。彼女の夫はフィリピン沖で船ごと沈み、行方不明になっていた。息子は戦死したと思った水島家の舅・姑との関係がうまく行かなくなった彼女は、婚家の水島家から出て行くしかなかった。そんな娘を温かく迎えた父親の高松峯三と敦子夫人であったが、次女の由岐子はそんな姉の生き方や母親のことを、性行為をともなう女中のようなものとして批判するのであった。
高松家の隣の借家には敦子夫人の妹の明子が嫁いだ、西沢一家が暮らしていた。明子は夫、西沢陽二と7人の子を儲け、現在8人目を妊娠中であった。
由岐子は父親の会社の本社に勤める一方、演劇の勉強をしており、劇団の主催者である 大塚龍吉に淡い恋心を抱いていた。しかし、母親や姉の結婚の現状を見るにつけ、結婚否定論者になっており、彼のために良い演技を行うことで愛情表現をしようとしていた。そのため、上司の杉田課長が父親に持ってきた縁談に振り向きもしなかった。
ある時、友人3人と龍吉とスキー旅行に行くことになった由岐子は、友人達の計略で龍吉と2人だけで旅行に行く羽目におちいる。結局何事も起こらなかったが、そのことが親にばれた由岐子は峯三と喧嘩になり、家を飛び出して、龍吉の家に一晩泊めてもらう。覚悟をして龍吉のもとへ向かった由岐子であったが、龍吉はそんな彼女を紳士的に扱うのであった。一旦実家に戻って来た由岐子は、そのまま友人のアパートの隣の部屋を借りて暮らすことになった。
一方、省子のもとにも、杉田の夫人の従弟にあたる36歳の男性からの縁談の話が立ち上がっていた。その家には既に亡妻との間に2人の子供がおり、省子が連れ子をして再婚することは不可能であり、必然的に娘を実家に置いて嫁ぐことになっていた。
ある日曜日の朝、敦子夫人は西沢や女中とともに、山梨県の大月に買い出しに出かけたが、帰りの列車の中で荷物検査に会い、買い出しの荷物の殆どを押収され、警察署に連れてゆかれる。やっと解放されて実家に帰って来た途端、妹の明子が事故で流産したことを知る。明子はそのまま回復せず、命を落としてしまった。
明子の葬儀の日は省子の見合いの日でもあった。予定通り見合いをすると自身の再婚に固執する省子とそれに付き添っていった峯三、葬儀に顔を出すべく、ひとたび家に戻ってきた由岐子の有様を見ているうちに、敦子夫人は今までの結婚生活に何か誤りがあったのではないか、支払いの方が多かったのではないか、世評や子供への責任などに捕らわれていたのではないかと悩むようになる。そして、由岐子と一緒に暮らす決断をする。
大映製作・配給、88分、モノクロ。1948年11月1日公開。
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