市橋 政勝(いちはし まさかつ)は、江戸時代前期の近江国仁正寺藩の世嗣。通称は左京。
2代藩主・市橋政信の四男として誕生。母は溝口宣直の長女・久(慈光院)。正室は南部直房の娘(名は富)[1]。
兄・政房が早世したため嫡子となる。延宝4年(1676年)、徳川家綱に拝謁する。しかし、元禄6年(1693年)、病弱を理由に廃嫡された。代わって、一門から利政が養子に迎えられ嫡子となった。享保11年(1726年)、60歳で没した。