川島大地(かわしま だいち、1986年11月21日 - )は、茨城県鹿嶋市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
小学2年次に1歳年長の兄と共に茨城県内の少年サッカークラブである波野サッカースポーツ少年団に入団し[2]、全日本少年サッカー大会の茨城県大会などに出場した。小学生時代はゴールキーパー以外の全てのポジションを経験したと自ら語っている[2]。鹿嶋市立鹿島中学校を経て茨城県立鹿島高等学校に進学し校内のサッカー部でプレーした。中学生時代に現在の主要ポジションである左サイドでプレーするようになった[2]。中学生時代・高校生時代とに茨城県選抜チームに選抜され、高校時代には国民体育大会関東地区ブロック大会に出場した。高校卒業時にJリーグのクラブからオファーを受けた[3] が、オファーを断って東海大学に進学した。
東海大学ではサッカー部に所属して関東大学サッカーリーグ (1部・2部の双方のディヴィジョンにて) でプレーした他、2008年には関東大学オープニングフェスティバルに出場する選抜チーム (Bチーム) に選出された[4]。同年左膝前十字靭帯断裂の重傷を負って3月に手術を受けたため、関東大学リーグの序盤は試合に出場することはなかったが、10月下旬から復帰した[5]。同年11月に鹿島アントラーズから正式に獲得のオファーを受け、他クラブとの競合の末[5] に同クラブへの入団が内定した[6]。
2009年1月にパク・チュホ、宮崎智彦、大迫勇也と共に入団した。同年度はJサテライトリーグのリーグ戦などに出場していたが、10月5日、練習中に左膝前十字靭帯を損傷して全治6ヶ月の診断を受け、同月27日に手術を受けた[7]。
2011年から2年間、モンテディオ山形へ期限付き移籍し[8][9]、2013年に鹿島アントラーズへ復帰した。
2014年、ギラヴァンツ北九州へ移籍[10]。4月13日の対ジュビロ磐田戦で初先発を勝ち取り、リーグ戦初ゴールを決めた。同試合で右膝前十字靭帯を損傷。戦線を離脱する。
2015年から退団した鈴木修人に代り、選手会長を務めた。同年はリーグ戦34試合に出場、翌年も30試合に出場したが、その後は毎年出場試合数が減り続け、2019年には僅かリーグ戦6試合と天皇杯2試合に留まった。2019年、北九州と契約満了[11]。
2020年4月、現役引退とギラヴァンツ北九州の普及事業課コーチ就任が発表された[12]。
この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。