川勝 重氏(かわかつ しげうじ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・旗本。継氏系重氏流川勝家初代当主。
天正15年(1587年)、川勝継氏の二男として丹波国に生まれた。慶長8年(1603年)、召されて初代将軍・徳川家康に仕え、慶長12年(1607年)7月に甥の川勝広綱より丹波氷上郡内に500石の分知を受けて旗本家を興した。家紋は釘抜、桐に鳳凰。通し字は「氏」。
慶長20年(1615年)大坂夏の陣に供奉した。元和3年(1617年)5月26日、2代将軍・徳川秀忠より所領安堵の御判書を賜った[1]。後に、小姓組を務め、その後書院番となった。寛永10年(1633年)2月7日、武蔵国橘樹郡内に200石を加えられ、合わせて丹波・武蔵内700石を知行するようになった。後に番を辞して、小普請となった。
承応2年(1653年)8月24日、死去。享年67。家督は嫡男・将氏が継いだ。