岡村 泰孝(おかむら やすたか、1929年6月13日 - 2011年12月22日)は、大阪市生まれの戦後第17代検事総長。弁護士。位階は正三位。
略歴
人物
- 法務省刑事局長在任中
- 1987年5月10日、帝銀事件で死刑が確定していた平沢貞通が執行されずに病死したことに関して記者会見を開き、「死刑の裁判確定後、32年経過したが、その間、17回に及ぶ再審請求と5回にわたる恩赦の出願がなされたこともあって、諸般の事情を検討しつつ今日に至った」との談話を発表した[3]。
- 検事総長在任中
- 1992年10月30日午後1時、札幌高等検察庁検事長の佐藤道夫が同年9月29日付の朝日新聞に「検察官の役割とは何か」と題する文章を投稿したことに関し、佐藤を最高検察庁に呼び出して口頭注意した。東京佐川急便事件の捜査処理に対する内部批判であるとの誤解を招きかねないことから、注意をしたと見られている[4]。
- 検事総長を勇退する際、三ケ月章法務大臣に対し「今後は、全幅の信頼を置いている吉永次期総長にまかせたい」と語った[5]。
担当事件
- 東京地検特捜部長在任中
- 検事総長在任中
脚注
- ^ 「2001年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2001年11月3日朝刊
- ^ 金丸事件を指揮、岡村元検事総長死去 産経新聞 2011年12月24日閲覧。
- ^ 朝日新聞1987年5月11日朝刊1頁「諸般の事情で死刑執行せず 平沢死亡で法務省刑事局長が表明」
- ^ 朝日新聞1992年10月30日夕刊1頁「『論壇』投稿の佐藤検事長に注意 『批判と誤解の恐れ』と検事総長」
- ^ 朝日新聞1993年11月16日夕刊10頁「現場派、久々の登用 検事総長に昇格の吉永祐介氏」