山岡 勝人(やまおか かつと、1908年11月14日 - 1998年10月12日[1])は、昭和時代日本の詩人、小説家、作詞家、劇作家。長野県出身。
生涯
1908年(明治41年)、長野県諏訪郡平野村(現在の岡谷市)湊に生まれる[1]。旧制松本商業学校を卒業したのち、諏訪地域で小学校各校の教員を務める傍ら、伊藤松雄主宰の「町の劇場」運動に参加した[1]。
1930年代後半からは文芸グループ「諏訪文学」に属し[3]、小説を執筆する傍ら「山岡羊村」他の名義で懸賞歌謡への応募を始め、1941年(昭和16年)には大政翼賛会が制定した「大政翼賛の歌」で入選する[1][3]。戦後は地域活動に徹し校歌や婦人会歌、音頭の作詞、新聞小説連載などの活動に従事した[1]。
1969年(昭和44年)に『天竜川』、1978年(昭和53年)に『山岡勝人作品集』2巻を上梓。晩年は岡谷で旅行愛好家グループの世話人を務めていた[1]。1998年(平成10年)10月12日死去。享年91(満89歳没)[1]。
作品
特に注記の無い場合は本名で発表。
著書
- 天竜川 山岡勝人作品集(甲陽書房、1969年)
- 山岡勝人作品集 第1巻/第2巻(甲陽書房、1978年)
作詞
- 山岡羊村名義
- 街の辻馬車(作曲:小泉幸雄)
- 旅の隊商(作曲:杉田良造)
- 白樺の丘(作曲:飯田景応)
- ジプシー娘(作曲:飯田景応)
- 僕のパパさん(作曲:米山正夫)
- 興安吹雪(作曲:鈴木哲夫)
- 南海軍の歌(作曲者不詳)
- 日本職業野球連盟に1938年(昭和13年)秋期から参入した南海軍(現在の福岡ソフトバンクホークス)初代球団歌。雑誌『野球界』1939年11月号付録『職業野球便覧』に歌詞が掲載されているが、作曲者の氏名がクレジットされておらず旋律は不詳。
- 長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校で校歌とは別に定められている讃歌。
参考文献
出典
- ^ a b c d e f g h i j 長野日報、1998年10月14日付16面おくやみ欄。
- ^ 著作権者名簿(1960), p517
- ^ a b 岡谷市史・下(1982), p621
関連項目