戦後、作曲者の鷹司平通は、1950年(昭和25年)に昭和天皇の第三皇女孝宮和子内親王と結婚した。和子内親王の弟継宮明仁親王の家庭教師だった米国人作家E・G・ヴァイニング夫人は著書『皇太子の窓』(原題:Windows for the Crown Prince)において、平通の作曲家ぶりについて「学生時代の作品の一つはコンクールに入賞して、日本中の子どもたちが歌ったものだという」とし、当時初等科6年生だった孝宮も、将来の夫が作った作品とは知らずにその曲を覚えたと、タイトルに触れず本曲を紹介した[2]。