山口 尚章(やまぐち なおあき、1886年(明治19年)5月6日 - 1952年(昭和27年)4月2日[2])は、内務官僚。長崎県大村市長。旧姓・冨永。
経歴
長崎県東彼杵郡千綿村瀬戸郷(現東彼杵町瀬戸郷)で、冨永新作の長男として生まれる[2]。1895年(明治28年)3月1日、母の実家、彼杵村坂本郷俵坂の山口家の養子となる[2]。長崎県立長崎中学校を経て、1905年(明治38年)第一高等学校に入学したが病のため退学[2]。その後静養して[2]、1911年(明治44年)早稲田大学政治科を卒業。1913年(大正2年)に高等文官試験に合格した。愛媛県属、西宇和郡長、愛媛県理事官、福島県理事官、佐賀県理事官、岩手県警察部長、鳥取県内務部長、滋賀県内務部長、鹿児島県警察部長、沖縄県内務部長、福井県内務部長、同総務部長を歴任し、1936年(昭和11年)に退官した。
1942年(昭和17年)に初代大村市長に就任し、1946年(昭和21年)まで在任した。その後、「翼賛大村市」のため公職追放となり[4]、俵坂の実家に戻った[2]。
脚注
参考文献