小野 秀二(おの しゅうじ、1958年1月31日 - )は秋田県出身の元バスケットボール選手、指導者。
略歴
1958年秋田県能代市生まれ。能代第一中学[1]1年よりバスケットボールを始める。当時、中学では友川かずきがコーチをしており、友川に能代工スタイルを叩き込まれた。名門秋田県立能代工業高校3年時に初の高校3冠(インターハイ、国民体育大会、ウィンターカップ)を達成。筑波大学進学後には全日本に選出され、同時にインカレ4位の成績をおさめる。1980年、住友金属工業に入社し、ポイントガードとして1982年日本リーグ、1984年オールジャパンの優勝に貢献。また9年間に渡り日本代表の主力として活躍し、アジア競技大会など数多くの国際試合を経験する。
1988年、愛知学泉大学にヘッドコーチとして招かれ、男子バスケットボール部を創部。以後は東海学生選手権11連覇、そして同校をインカレ常連校に育てあげ、2000年には西日本学生選手権優勝、インカレ4位に導く。2000-2001シーズンより、JBL日本リーグトヨタ自動車のアシスタントコーチに就任。シーズン途中よりヘッドコーチに昇格しJBLファイナルに進出。翌2001-2002シーズンには、トヨタ自動車に初のJBL優勝をもたらし、自らもコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞。2005-2006シーズンより、JBL日立のヘッドコーチに就任。2008-09シーズンのオールジャパン・リーグでともに準優勝へ導いた。2009年東アジア大会男子日本代表ヘッドコーチに日立との兼任かつ大会期間限定の形で就任。
2013年、日立のヘッドコーチを退任[2]。
2014年、NBDLアースフレンズ東京Zのヘッドコーチに就任[3]。2017年退任。
2017年、母校の能代工業高校バスケットボール部HC就任、2021年退任。
2021年、大阪エヴェッサアカデミー校長に就任[4]。
2022年、バンビシャス奈良ヘッドコーチ就任[5]。同年6月、びわこ成蹊スポーツ大学男子バスケットボール部総監督に兼務で就任[6]。
経歴
選手歴:
コーチング歴:
参照
関連項目
外部リンク
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