小林 陽太郎(こばやし ようたろう、1933年(昭和8年)4月25日 - 2015年(平成27年)9月5日)は、日本の実業家。経済同友会終身幹事(元代表幹事)。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)元代表取締役会長。日本電信電話取締役。国際大学理事長。慶應義塾評議員会・理事。
略歴
ロンドンで[1]のちに富士写真フイルム第3代社長兼富士ゼロックス初代社長となった小林節太郎の子として生まれる[2]。
慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校から1956年(昭和31年)慶應義塾大学経済学部卒業、1958年(昭和33年)ペンシルベニア大学ウォートン・スクール修了(MBA)。
1958年(昭和33年)に富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)に入社、1963年(昭和38年)に富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)に転じ、1968年(昭和43年)に取締役。
副社長を経て、1978年(昭和53年)に吉村寿雄の後任として社長就任。1992年(平成4年)に会長に就任。2006年(平成18年)から2009年(平成21年)まで相談役最高顧問。2000年(平成12年)、西安交通大学より名誉博士号を授与された。
2015年(平成27年)9月5日死去[3]。82歳没。
家族・親族
エピソード
学生時代、東宝の映画俳優になるように有馬稲子に勧められたが、父が断った[7]。
脚注
参考文献
伝記・研究
外部リンク
- 先代
- 吉村寿雄
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- 富士ゼロックス社長
- 第3代:1978年 - 1992年
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- 次代
- 宮原明
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- 先代
- 吉村寿雄
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- 富士ゼロックス会長
- 第3代:1992年 - 2006年
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- 次代
- 山本忠人
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