小林 泉美(こばやし いずみ、1957年3月25日 - )は、日本のシンガーソングライター、キーボーディスト、音楽プロデューサー、実業家[1][2]。千葉県船橋市出身、東京音楽大学ピアノ科卒業[1]。MIMI名義でも活動[3]。
人物
10代の頃からプロ活動を開始。大学在学中に中村雅俊のバックバンドや舘ひろしのレコーディングに参加していたところ矢沢永吉の事務所にいた真下幸孝にスカウトされ、1977年に20歳でレコード・デビュー[2]。当時の女性歌手としては珍しく、デビュー作品から編曲・プロデュースまで自らの手で行っている[2]。
キーボーディストとして高中正義バンド、PARACHUTE、THE SQUARE(現・T-SQUARE)等のフュージョン・バンド、中島みゆき・松任谷由実・来生たかお等のライブ・作品のレコーディングに参加。他歌手への楽曲提供・編曲・プロデュース・オーケストラのスコア[注 1] まで手掛ける[2]。映画・テレビドラマの劇伴、テレビCM音楽、テレビアニメ等へ楽曲提供も行う[1]。特にアニメ『うる星やつら』(フジテレビ)の主題歌「ラムのラブソング」は著名で[注 2]、1990年代以降、数多の歌手にカバーされ、アニメソングの域を超え支持を増やし続けている[2]。同番組及びその劇場映画版には続けて多数の主題歌・挿入歌を提供、一部では作詞・自ら歌唱も行っている。
1980年代前半、テレビ東京の深夜番組『ロック・イン・ジャパン』の司会や『キーボード・マガジン』『サウンド&レコーディング・マガジン』(いずれもリットーミュージック)などの雑誌でのコラム連載などの執筆活動で音楽以外での活動も増えてくる[2]。
1980年代半ばから「海外で活動したい」「自分自身の作品をゆっくり作りたい」と思うようになり、来日した音楽関係者たちに自分のストリングス・カルテットの音源[注 3] を渡していたところ、ホルガー・ヒラーに「ヨーロッパに来てこういうものをもっと伸ばした方がいい」と言われ、渡欧[2]。ヨーロッパでは、デペッシュ・モード『ヴァイオレーター』(1990年、ミキシングのアシスタント)、初期のデュラン・デュランにも参加していたStephen Duffyのアルバム、スウィング・アウト・シスターのシングル「Blue Mood」(1985年)と「Breakout」(1986年)、ホルガー・ヒラーのアルバムなどにスタジオ・ミュージシャンとして参加[2]。またオランダのMathilde Santingのアルバム『Breast And Brow』(1989年)のプロデュースやドイツ映画の音楽などを担当している[2]。
1990年代、エイフェックス・ツインが運営するリフレックス・レコーズから作品がリリースされる話があったが、実現しなかった。またKEN=GO→や佐藤大らが運営したフロッグマンレコーズのイギリスでのマネージメントを担当するなど、テクノカルチャーへの接近を見せた。
また実業家としての顔も持ち、CISCO RECORDS(経営母体は株式会社シスコ・インターナショナル)のロンドン社長に就任したほか、音楽制作会社を経営[注 4] し、レコードレーベル(Ninja Tune、Mo'Wax、Compost Records、Warp Recordsなど)や、音楽家(ケン・イシイ、BOOM BOOM SATELLITES、DJ KRUSH、石野卓球など)のビジネス・コーディネーションも手掛けた[2]。
略歴
10歳からピアノを習い始める[2]。高校入学後、社交ダンスの演奏バンドに参加。地元のダンスホールで演奏後初の報酬を得る。同時期に始めたエレクトーンでもレストランやクラブなどでの演奏の仕事が入るようになり、プロの演奏家として活動を始める[2]。その頃、仕事で行った米軍キャンプでジャズやブラックミュージックなどに影響を受け、ハモンドオルガンを習い始める。その後、米軍キャンプのファンクバンドに参加する[2]。
1976年、米軍キャンプのバンド仲間だった渡嘉敷祐一に誘われ、バンド・ASOCA(アソカ)を結成[2]。ヤマハ音楽振興会主催のコンテスト「EastWest'76」に出場してグランプリを獲得[注 5][1][5]。個人としてもベストキーボード賞を受賞した[注 6][5]。
1977年、Mimie-Chan Super Band名義でCBS・ソニーからメジャー・デビュー[1]。
1978年、バンド名を小林泉美&Flying Mimi Bandに改める[1]。
1979年、EastWest'76の審査員だった高中正義のバックバンドに参加。これをきっかけにキティレコードに移籍し、関連会社キティ・フィルム制作の映画やアニメの音楽を手掛けるようになる[1][2]。同時期にPARACHUTEとTHE SQUARE(現・T-SQUARE)に誘われ、PARACHUTEに加入[注 7]。THE SQUAREからも正式にメンバーになるよう求められるがPARACHUTEと高中の仕事の兼ね合いで断る[1][2]。
1980年、映画『翔んだカップル』の音楽を担当。
1981年、テレビアニメ『うる星やつら』(フジテレビ)に主題歌「ラムのラブソング」とエンディングテーマを提供。以後、同シリーズのテレビや映画の楽曲を手掛けるようになる。同年、ソロ1stアルバム『Coconuts High』発売。
1982年、2ndアルバム『Nuts,Nuts,Nuts』発売。同年、テレビアニメ『さすがの猿飛』(フジテレビ)に主題歌とエンディングテーマを提供。
1983年、3rdアルバム『TROPICANA』発売。
1984年、テレビ番組司会や雑誌でのコラム連載など、音楽以外の仕事が増える[2]。
1985年4月、ホルガー・ヒラー招聘にて渡英。ロンドンでプロデュース業を展開[1]。
1988年、長男が誕生[2]。
1989年、ホルガー・ヒラーのプロデュースでアルバム『i.Ki』(フィリップス・レコード)発売[2]。同年、音楽制作会社を設立。子育ての間、音楽家としての活動が十分にできないため、ビジネスの方に力を入れるようになる[2]。
1992年、テレビドラマ『悪女(わる)』(よみうりテレビ)の音楽を担当。
1994年、Moves In Motionをプロデュース。
1997年、シスコ・インターナショナルの株式を取得し、シスコレコードのロンドン社長に就任(2008年倒産)[2][6]。
1999年、テレビドラマ『女医』(よみうりテレビ)の音楽を担当。
2012年、息子が大学を卒業して独立したこともあり、この年から自身のソロ活動のためのスタジオのリサーチや音楽家との交流のために毎年キューバに渡航し、4ヶ月ずつ滞在するようになる[2]。
2016年から長らく拠点にしていたロンドンをベースに本格的に音楽活動を再開[2]。
ディスコグラフィー
バンド名義
シングル
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発売日
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タイトル
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規格
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規格品番
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収録曲
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レーベル
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備考
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Mimie-Chan Super Band
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1st
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1977年8月
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My Beach Samba
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7インチシングル盤
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06SH 199
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詳細
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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1. | 「マイ・ビーチ・サンバ MY BEACH SAMBA」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | 2. | 「夕ぐれ時の恋人たち」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 |
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CBS・ソニー
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小林泉美&Flying Mimi Band
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2nd
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1978年4月25日
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My Beach Samba '78
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7インチシングル盤
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FS-2088
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詳細
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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1. | 「My Beach Samba」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | 2. | 「Hello Hello Hello」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 |
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日本フォノグラム(Philips)
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小林泉美&F.M.B
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3rd
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1978年
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スプーンダンス (タイフーン'79)
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7インチシングル盤
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FS-2092
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詳細
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 時間 |
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1. | 「スプーンダンス (タイフーン '79)」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | | 2. | 「カーニバル」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | |
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日本フォノグラム(Philips)
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2014年9月10日
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MEG-CD
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MSCL-12516
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アルバム
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発売日
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タイトル
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規格
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規格品番
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収録曲
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レーベル
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備考
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小林泉美&Flying Mimi Band
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1st
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1978年3月5日
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ORANGE SKY-Endless Summer-
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LPレコード
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S-7039
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詳細
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 時間 |
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1. | 「サンタモニカの夜明け」 | | 小林泉美 | 小林泉美 | | 2. | 「ハロー・ハロー・ハロー」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | | 3. | 「そよそよ」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | | 4. | 「フルーツ・パフェONE NOTE SAMBA」 | 小林泉美 | Antonion Carlos Jobim | Flying Mimi Band | | 5. | 「コーヒー」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | | 6. | 「海を見に行く」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | | 7. | 「マイ・ビーチ・サンバ」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | | 8. | 「オレンジ・ビーチ」 | | 小林泉美 | Flying Mimi Band | | 9. | 「夕ぐれ時の恋人たち」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | | 10. | 「サンタモニカの夜明け」 | | 小林泉美 | 小林泉美 | |
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日本フォノグラム(Philips)
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2013年3月13日
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CD
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PROT-1055
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2nd
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1978年10月15日
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SEA FLIGHT(シーフライト)
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LPレコード
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S-7050
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詳細
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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1. | 「コンクリート・ウェーブ」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | 2. | 「エンジェル・スカイ」 | 小林泉美 | 清水靖晃 | 清水靖晃 | 3. | 「なぜ」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | 4. | 「サマー・ワイン」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | 5. | 「ウィスパー・オブ・シェル」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | 6. | 「シーフライト」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | 7. | 「カーニバル」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 | 8. | 「イッツ・レイニング」 | 小林泉美 | 小林泉美 | 小林泉美 |
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日本フォノグラム(Philips)
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2013年3月13日
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CD
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PROT-1054
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ソロ
シングル
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発売日
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タイトル
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規格
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規格品番
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収録曲
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レーベル
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備考
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1st
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1982年12月1日
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I,I,You&愛
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7インチシングル盤
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7DS0027
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詳細
全作曲・編曲: 小林泉美。 | # | タイトル | 作詞 | 作曲・編曲 |
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1. | 「I,I,You&愛」 | 安藤芳彦 | 小林泉美 | 2. | 「LOVE GAME」 | 地恵子・シュレイダー | 小林泉美 |
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Kitty Records
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2nd
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1983年7月10日
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Dancing Star
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7インチシングル盤
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7DS0054
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Kitty Records
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- 表題曲はフジテレビ系アニメ『うる星やつら』2代目OP。
- カップリング曲はフジテレビ系アニメ『うる星やつら』5代目ED。
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アルバム
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発売日
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タイトル
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規格
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規格品番
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収録曲
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レーベル
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備考
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1st
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1981年12月1日
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Coconuts High
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LPレコード
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28MK 0023
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詳細
Disc1: CD# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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1. | 「PALM ST. 」 | | 小林泉美 | 小林泉美 | 2. | 「SMALL DYNAMITE」 | 地恵子・シュレイダー | 小林泉美 | 小林泉美、Greg Adams | 3. | 「PENATEN」 | | 小林泉美、田中章弘 | 小林泉美、Greg Adams | 4. | 「CRAZY LOVE」 | 地恵子・シュレイダー | 小林泉美 | 小林泉美 | 5. | 「THE 4TH DIMENSION」 | | 小林泉美 | 小林泉美 | 6. | 「COCONUTS HIGH」 | | 小林泉美 | 小林泉美 | 7. | 「LAZY LOVE」 | | 地恵子・シュレイダー | 小林泉美 | 8. | 「Mr. COOL」 | 佐藤ナオコ | 小林泉美 | 小林泉美 |
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Kitty Records
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CD
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PROT-1043
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2nd
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1982年6月25日
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夏・Nuts・夏 (Nuts,Nuts,Nuts)
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LPレコード
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28MS 0010
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詳細
Disc1: CD# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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1. | 「EVENING SHOWER」 | | 小林泉美 | 小林泉美 | 2. | 「AFTER THE RAIN」 | | 小林泉美 | 小林泉美 | 3. | 「FEELING FREE」 | 地恵子・シュナイダー | 小林泉美 | 小林泉美 | 4. | 「LOVE GAME」 | 地恵子・シュナイダー | 小林泉美 | 小林泉美 | 5. | 「夏 (Nuts)」 | | 小林泉美 | 小林泉美 | 6. | 「COFFEE RUMBA」 | 中沢清二 | J.MANZO | 渡辺モリオ | 7. | 「DANCE F」 | | 小林泉美 | 小林泉美 | 8. | 「ROLLING STONE」 | 地恵子・シュナイダー | 小林泉美 | 小林泉美 | 9. | 「QUIET EXPLOSION」 | 地恵子・シュナイダー | 小林泉美 | 小林泉美 |
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Kitty Records
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ギターで布袋寅泰が参加。
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CD
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PROT-1075
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3rd
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1983年7月25日
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TROPICANA
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LPレコード
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28MS 0039
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詳細
Disc1: CD# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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1. | 「CRESCENT PIERCE」 | 宮原芽映 | 小林泉美 | 森村献(ホーンアレンジ) | 2. | 「ラメ色ドリーム」 | 宮原芽映 | 小林泉美 | 小林泉美 | 3. | 「DANCE'N "C"」 | オキ・マリコ | 小林泉美 | 小林泉美 | 4. | 「ジプシー・ラブ」 | 安藤芳彦 | 小林泉美 | 小林泉美 | 5. | 「LE VOYOU」 | 安藤芳彦 | 小林泉美 | 小林泉美 | 6. | 「MAS QUE NADA」 | Jorge Ben | Jorge Ben | | 7. | 「ESPRESSO」 | | 小林泉美 | 小林泉美 | 8. | 「NEREID」 | | 小林泉美 | 小林泉美 | 9. | 「WIND SONG」 | | 小林泉美 | 小林泉美 |
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Kitty Records
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CD
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PROT-1076
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4th
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1989年6月25日
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iK.i
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LPレコード
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MD 7885
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詳細
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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1. | 「On」(Vocals: Mark Rogers, Mykaell Riley) | | | | 2. | 「Kicking In The Wind」(Vocals: Richard Jobson) | | | | 3. | 「Days」(Vocals: Mathilde Santing) | | | | 4. | 「Merlin」 | | | | 5. | 「Home」 | | | | 6. | 「Infant Sorrow」 | | | | 7. | 「Tiny Jewellery」 | | | | 8. | 「Rubie」 | | | | 9. | 「One Million Years In Archway」 | | | | 10. | 「A Primrose Path」(Vocals: Richard Jobson) | | | | 11. | 「Piano Ballet」 | | | |
- Percussion – Simon Limbrick
- Producer – Holger Hiller
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MEGADISC/MME
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CD
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MDC 7885/PHCR 3
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提供楽曲
歌謡曲
- 中原理恵
- 「とぎれ とぎれて」(1978年)作詞:中原理恵。アルバム『TOUCH ME』収録。
- 「By Myself(私…)」(1978年)作詞:中原理恵。アルバム『KILLING ME』収録。
- 原田知世
- 森尾由美
- 「約束」(1983年)作詞:鈴木隆子。アルバム『You & Me』収録。
- 「メルヘン・キャラバン」(1983年)作詞:鈴木隆子。アルバム『Yumic World』収録。
アニメソング
- うる星やつら
- 松谷祐子 「ラムのラブソング」「宇宙は大ヘンだ!」(1981年)作詞:伊藤アキラ
- ヘレン笹野 「心細いな」(1982年)作詞:地恵子・シュレイダー、實川翔。 「マルガリータ」作詞:安藤芳彦
- うる星やつらオールスターズ「ア・リ・ガ・ト!」「星のメモリー」(1986年)作詞:伊藤アキラ
- さすがの猿飛
- 伊藤さやか「恋の呪文はスキトキメキトキス」「恋のB級アクション」(1982年)作詞:康珍化
- ストップ!! ひばりくん!
- 雪野ゆき「ストップ!! ひばりくん!」星野アイ「コンガラ・コネクション」(1983年)作詞:伊藤アキラ
- アニメ80日間世界一周
- 潘恵子「SKY WAY」「ふたりの時計」(1983年)作詞:伊藤アキラ
- ふしぎの国のアリス
劇伴
映画
テレビドラマ
バンドでの活動
- 小林泉美&Flying Mimi Band
Mimie-Chan Super Bandから改名。命名は小泉をCBSソニーに引っ張ってきた矢沢永吉事務所(当時)の真下幸孝[2]。前身はアマチュア時代のバンド・ASOCA。
- 小林以外のメンバー
- 渡嘉敷祐一 (Dr)→マーティン・ブレーシー (Dr)
- 渡辺モリオ (B)
- 清水靖晃 (Sax、Flute)
- 土方隆行 (G)
- パラシュート
1stアルバムのみで脱退。
- レゲエ・フィルハーモニック・オーケストラ
3年間活動[2]。
- スコーピオス
アフリカのバンド[2]。
関連事項
脚注
注釈
- ^ 音大ではピアノ科だったが、副科として作曲を取っていたので、オーケストラの譜面も書ける。
- ^ 歌唱は松谷祐子だが、作曲とアレンジを担当した小林の代表曲として記憶されている。
- ^ ダンスカンパニーや演劇用に弦楽四重奏の楽譜を書き下ろしていた。
- ^ 顧客は主に電通、ソニー・ミュージック、NHK。
- ^ 同じ年にカシオペアも出場しており、野呂一生がベストギタリスト賞を受賞している[4]。
- ^ メンバーも渡辺もりおがベストベーシスト賞、渡嘉敷祐一がベストドラマー賞を受賞している。
- ^ THE SQUAREではレコーディングは行わず、松任谷由実の「OLIVEツアー」に参加したのみ。
- ^ ソロアルバム『TROPICANA』収録曲「Crescent Pierce」の歌詞・アレンジ違い。
出典