小島 正雄(こじま まさお、1913年〈大正2年〉3月4日 - 1968年〈昭和43年〉1月20日)は、日本のジャズ演奏家・評論家、司会者。愛称はチャーさん。
東京生まれ。早稲田大学在学中に、服部正が創設したコンセール・ポピュレール(後の青年日本交響楽団)にトランペット奏者として参加した[1]。卒業後、1941年(昭和16年)にNHKに就職。翌年召集され、1947年(昭和22年)に復員後、戦後再結成した名門ジャズバンドであるブルーコーツのバンドマスターとして活躍。また、日本を代表するコーラスグループであるダークダックス、ボニージャックス、スリー・グレイセス等の育ての親である。
9500万人のポピュラーリクエスト(文化放送)、味の素ミュージックレストラン[2]、オーナー(水・木)(以上、TBSラジオ)。1966年、大橋巨泉と共にパーソナリティを務めた大学対抗バンド合戦[3](文化放送)等のラジオ番組、シャボン玉ホリデー、11PM(以上、日本テレビ)等のテレビ番組で活躍した。
「舞台上にいるギャラを貰っている人同士がお客様の前で「さん付」で呼び合うなんて失礼な事」という考え方を持ち、その考えを継承したのが大橋巨泉である。
1968年(昭和43年)1月、心筋梗塞のために急逝。54歳だった。
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