スリー・グレイセス(the Three Graces)は、1958年に結成され、「山のロザリア」で脚光を浴びた女性3人組のコーラスグループ。CMソングなど多数の作品を残している。コロムビアレコード所属。
メンバー
- 森本政江(もりもとまさえ、旧姓:石井、姉、アルト・リーダー)[1]
- 星野操(ほしのみさお、旧姓:石井、妹、メロディー)[1]
- 白鳥華子(しらとりはなこ、旧姓:長尾、ソプラノ)[1]
来歴
1958年、ダークダックスなどを育てたプロデューサー小島正雄のもとで結成される。
1959年、厳しいレッスンを受けた後デビュー。ドリス・デイなどの英語の曲を歌っていた。
1961年、ロシア民謡に日本語の歌詞をつけた『山のロザリオ』(作詞:丘灯至夫)[2]がミリオンセラーを記録。
1962年-1963年にはNHK紅白歌合戦に出場[3]。CMソングの分野でも活動。
1967年、それぞれ結婚・出産、家事・育児に専念するため活動休止。
1989年、CM音楽プロデューサー大森昭男との再会をきっかけに、22年ぶりに再結成。同年サントリー・ワイン、CFイメージソング「想い出してウクレレ」で再デビューする。
1990年、HONDA・アスコット・CFイメージソング「JOKING LOVE TAKE THE“A”TRAIN」をリリースし、日本広告音楽制作者連盟・優秀歌唱賞を受賞。アコードなどのCMソングで復帰。
1991年、CBS SONYより、東芝EMI/TMファクトリーへ移籍する。
1994年、ニューヨークで初の海外公演
1995年、アイオワ州クラリンダ「グレンミラー・フェスティバル」に出演
1996年、カリフォルニア州「サクラメント・ジャズ・ジュビリー」に出演
現在、テレビ、各種音楽団体のコンサート及びセレモニーやパーティ、国内ホテルのディナーショー、ライブハウス等幅広い音楽活動を行っている。
活動履歴
シングル
- 夏の日の恋/白鳥の恋(日本ビクター VS-345、1960.05)
- サンセット77(日本コロムビア SA-486、1960.11。A面はフォーコインズ「反逆児ユマ」)
- 月影のマジョリカ(日本コロムビア SA-601、1961.04。B面は松島トモ子「汽車ポッポのタンゴ」)
- 夢のカルカッタ(日本コロムビアSA-621、1964.04。A面は森サカエ「ボーイハント」)
- カレンダーガール/ズビズビズー(日本コロムビア SA-622、1961.04)
- 泪のラブレター/オンボロ汽車ポッポ(日本コロムビア SA-648、1964.06)
- 山のロザリア/カチューシャ(日本コロムビア SA-710、1961.08) *訳詞:丘灯至夫、曲:ロシア民謡
- 悲しきラブレター/峠の幌馬車(日本コロムビア SA-746、1961.11)
- すてきな初恋/ほのかな想い(日本コロムビア SA-784、1961.12)
- 仰げば尊し/螢の光(日本コロムビア SA-816、1962.01)
- ベルリンの街角で/アテネの恋歌(日本コロムビア SA-851、1962.04)
- 白い渚のブルース/モスコーの夜はふけて(日本コロムビア SA-949、1962.08)
- 禁じられた遊び/草原情歌(日本コロムビア SA-1026、1962.12)
- 牧場のわが家/おおシェナンドー(日本コロムビア SA-1075、1963.02)
- クエラ/好きだから(日本コロムビア SAS-22、1963.05)
- ワンボーイ/霧のサンフランシスコ(日本コロムビア SAS-129、1963.09)
- 花咲く丘に涙して/純愛の砂(キング BS-7100、1965.06)
- チム・チム・チェリー/ブルー・レディーに紅バラを(キング BS-7105、1965.07)
- 大阪わるつ 2009年(「WATERAグレイセス」としてクラウンより発売)
アルバム
- スリー・グレーセスと歌おう(日本ビクター LV-140、1960.07)
- ポピュラーヒット10(日本コロムビア AL-288、1961.07)
- 螢の光 窓の雪(日本コロムビア ALS-134、1962.03)
- ホームソングと私たち(日本コロムビア AL-386、1962.08)
- フォスタ歌のアルバム(日本コロムビア ALS-182、1963.02)
- スリー・グレイセスのすべて(キング SKK-127、1965.08)
- LOVE IN GRACE
- 青春歌謡メモリアル〜山のロザリア
- TRIPPING TRIPLETS
- CD文庫
TV・ラジオ番組ソング
ステーションソング
CMソング
NHKみんなのうた出演歴
- 『あだ名のうた』の2022年1月放送分はラジオのみ。
NHK紅白歌合戦出場歴
ライブステージ
1998年9月 |
Something Old Something New |
朝日ホール
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1999年9月 |
Someday Somewhere |
日本青年館ホール
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2000年9月 |
Some Saturday Evening |
関内ホール
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2001年9月 |
Somebody Loves Me |
読売ホール
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2002年10月 |
Some Sweet Memories |
朝日ホール
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2003年9月 |
Some Unforgettable Melodies |
ル テアトル銀座
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2004年10月 |
Something Happening |
ル テアトル銀座
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2005年11月 |
Some Enchanted Evening |
ル テアトル銀座
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2006年9月 |
Some Sweet Rendez-vous |
ル テアトル銀座
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2007年10月 |
Something Everlasting |
ル テアトル銀座
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エピソード
- 「WATERAグレイセス」
- スリーグレイセスが活動を再開した際、多くのCMソングを書いた作曲家の桜井順がお祝いに「もっともグレイセスらしくない曲を」とプレゼントしてくれたのが「大阪わるつ」。時々ライブなどで歌っていたのを聴いた方が面白いと評価してくれ「大阪弁」を直したら!と指摘があり「神田川」を書いた喜多條忠が補作詞をしてCD化の話が進んだ。しかしJAZZコーラスのスリーグレイセスではしっくり来ないと別名を考え「わてらぐれいせす」になった。
関連項目
脚注・出典
- ^ a b c Jazz Page
- ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、103頁。ISBN 9784309225043。
- ^ 日刊スポーツ・芸能・紅白歌合戦・第13回紅白歌合戦[リンク切れ]
- ^ a b ボーカル・ショップと共演。
- ^ gooマスターズ、イベント情報
- ^ 小林信彦『1960年代日記』(ちくま文庫)P.83
外部リンク