宇津木村

うつきむら
宇津木村
海上より見た宇津木村跡 (2017年11月10日撮影)
海上より見た宇津木村跡
(2017年11月10日撮影)
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 編入合併
大賀郷村宇津木村八丈村
現在の自治体 八丈町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都 八丈支庁
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 66
国勢調査、1950年10月1日)
隣接自治体 八丈村(海を挟んで大賀郷村
宇津木村役場
所在地 東京都宇津木村
座標 北緯33度07分18秒 東経139度41分36秒 / 北緯33.12153度 東経139.69339度 / 33.12153; 139.69339座標: 北緯33度07分18秒 東経139度41分36秒 / 北緯33.12153度 東経139.69339度 / 33.12153; 139.69339
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

宇津木村(うつきむら)とは、東京都八丈支庁管内の八丈小島にかつて存在したである。

現在の八丈町の一部で、大字として「宇津木」が現存するが、1969年1月から始まった「全島民完全移住」により現在は島自体が無人島となっている。

地理

伊豆諸島八丈島のすぐ西に浮かぶ八丈小島に2つあった村のうちの1つで、おおむね南東側半分に相当する。

歴史

村名の由来は、源為朝ウツギを折って差したところに根付いたことから[1]

前史

江戸時代は、幕府領地[2]

村史

変遷表

昭和22年
5月2日まで
昭和22年
5月3日
昭和30年
4月1日
現在
宇津木村 宇津木村 八丈村に編入
八丈村 → 八丈町
八丈町

廃止後

  • 1968年八丈小島のバク病が退治される。
  • 1969年(昭和44年)1月 - 「全島民完全移住」により離島を開始する[6]
    • 3月 - 宇津木小学校および宇津木中学校が廃校となる。離島が完了する[6]
  • 1999年平成11年)6月10日 - 宇津木漁港の、第1種漁港指定が取り消される[11]

特殊な地方自治制度

人口が50人程度であった本村では、地方自治法が施行される1947年まで島嶼町村制も施行されず、例外的に名主制度が存続していた[5]

その後、1951年に宇津木村議会を廃止し、地方自治法第94条および第95条による町村総会が、村が合併により消滅する1955年までの8年間にわたって設置された[5]。いわば直接民主制が実施された、地方制度史上極めて稀な事例である。

人口

総数 [単位: 人]

1887年(明治10年) 222
1935年(昭和10年) 50

脚注

  1. ^ 秋山富南『南方海島志』、1791年寛政3年)
  2. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典13 東京都』、角川書店、1978年、ISBN 978-4040011301
  3. ^ 近藤富蔵『八丈実記』
  4. ^ 同日、太政官第117号布告「荘屋名主年寄等ヲ廃シ戸長副戸長ト改称シ給料並ニ諸入用割合ヲ定ム」
  5. ^ a b c d e f 榎澤幸広「地方自治法下の村民総会の具体的運営と問題点 : 八丈小島・宇津木村の事例から」『名古屋学院大学論集 社会科学篇』第47巻第3号、名古屋学院大学総合研究所、2011年1月、93-118頁、doi:10.15012/00000227ISSN 0385-0048CRID 1390572174703020288 
  6. ^ a b c 東京都八丈支庁『事業概要 平成22年版 (PDF) 』、2011年
  7. ^ 同日、農林省告示第344号「漁港を指定する件」
  8. ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180
  9. ^ 同年3月31日、総理府告示第997号「村の廃置分合」
  10. ^ 同年3月31日、総理府告示第998号「村を町とする処分」
  11. ^ 同日、農林水産省告示第809号「漁港の指定を取り消す件」

関連項目

Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!