好村 冨士彦(こうむら ふじひこ、1931年8月21日[1] - 2002年9月19日)は、日本のドイツ文学・哲学者。広島大学名誉教授。
経歴
1931年、東京都で生まれた。1938年、北支宣撫の父に従って北京に渡った。1943年に父が死去。そのまま大陸に滞在し、1946年に引き上げた。
帰国後広島高等学校に入学し、1949年に学制改革で広島大学理学部となった同校で学んだが、肺結核のため療養に入った。
1958年、早稲田大学第一文学部独文科に入り、60年安保で野口武彦らと知りあった。1962年に卒業し、同大学大学院に進んだ。清水多吉、池田浩士らとブロッホ研究会を作った。1967年、博士課程を単位取得後満期退学した。
その後は日本大学理工学部講師となり、ドイツ語を講じた。1970年、京都大学教養部講師に就いた。1972年に助教授昇格。1973年、西ドイツに研究留学。1978年に広島大学文学部助教授に転じ、1983年に教授昇格。1995年に広島大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は東亜大学大学院教授として教鞭を執った。
2002年9月19日、心不全のため死去[1]。
研究内容・業績
被爆関連文献資料の保存活動や文学作品の考察も行っている。
家族・親族
著作
- 著書
- 共著
- 翻訳
参考
- 「考えるとは乗り越えることである 好村冨士彦遺稿・追悼集」附載年譜
脚注
- ^ a b 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.239