『女ひとり大地を行く』(おんなひとりだいちをゆく)は、キヌタプロダクションが1953年に製作し、北星映画が配給した日本映画である。
概要
日本炭鉱労働組合北海道地方本部加盟の炭鉱労働者が1人33円ずつ資金を出し合い、300万円の資金で製作された。1952年、北海道夕張市、釧路市の太平洋炭礦で長期ロケを開始。原ひさ子の証言にもとづくレポートによれば、製作経費の軽減と役作りのために、1952年9月26日に夕張炭鉱で始まった長期ロケでは炭坑労働者が暮らす炭坑長屋でスタッフ・キャストが寝泊まりをした[1]。釧路市の太平洋炭礦では、主演の山田五十鈴も地元住民と交流[2]。同年10月、岸旗江が太平洋炭礦をロケで訪れる[3][4]。
一方、シナリオと完成フィルムについては、映画倫理委員会から朝鮮戦争を連想させる箇所はすべて削除か改訂の希望が出され、日本炭鉱労働組合が抗議するなど、対立したが、1953年2月20日、全国で公開された[5]。
シナリオと実際の公開用のフィルムが二転三転するなか、1952年12月1日、「自主改訂版」の脚本が雑誌『シナリオ』(第8巻第12号)に掲載され[5]、翌1953年2月1日付でシナリオ文庫(映画タイムス社)第5集として発表されている[6]。
映倫による削除・改訂要請に応じた結果、オリジナルの最長版164分は、32分短い132分に短縮されることになった。2008年12月、東京国立近代美術館フィルムセンターで最長版が上映された。
現在でも、北海道の炭鉱の歴史を伝える作品として自主上映が取り組まれている。
この作品を最後に亀井文夫は劇映画の演出から撤退した。
あらすじ
物語は、1932年から1952年までの20年間の時代の流れのなかで、ひとりの女性が、やむにやまれず、炭鉱労働者となって、2人の子供を育てながら我武者らに生き抜いた歩みを描いた。炭鉱の事故、戦時の徴兵、朝鮮戦争の「特需」に応えるための無茶な増産などが描かれている。
スタッフ
出演者
ほか
出典
外部リンク