大沼 保昭(おおぬま やすあき、1946年〈昭和21年〉3月8日 - 2018年〈平成30年〉10月16日[2])は、日本の法学者。専門は国際法学。学位は、博士(法学)(東京大学・論文博士・1999年)(学位論文「人権、国家、文明:普遍主義的人権観から文際的人権観へ」)。東京大学名誉教授。元明治大学法学部特任教授。
山形県山形市出身[1][2]。寿虎屋酒造9代目社長大沼勘四郎の次男として生まれる。
東京大学法学部在学中の1968年、国家公務員採用上級甲種試験(法律)合格、司法試験第二次試験合格。1969年6月、東京大学法学部公法コース卒業。1970年3月、東京大学法学部政治コース卒業。
1970年4月 - 1973年10月、東京大学法学部助手、1973年11月 - 1984年6月、同大学法学部助教授、1984年7月 - 1991年3月、同大学法学部教授、1991年4月 - 2009年3月、同大学大学院法学政治学研究科教授。2009年3月に東京大学を定年退職し、同年4月より明治大学法学部特任教授に就任。2016年3月退任。
1987年、論文「歴史と文明のなかの経済摩擦」および「経済摩擦の歴史的定位」で第8回石橋湛山賞を受賞。1999年、学位論文「人権、国家、文明:普遍主義的人権観から文際的人権観へ」で、東京大学より博士(法学)の学位を取得。2017年に内海愛子、田中宏と共に日本平和学会平和賞を受賞[1]。
2018年10月16日6時43分、腎盂がんのため、東京都新宿区の病院で死去。72歳没[2]。
東京大学法学部在学中に全共闘運動やベトナム反戦運動に影響を受け、在日韓国・朝鮮人の指紋押捺撤廃やサハリン残留朝鮮人の帰還運動などに参加[1]。また戦争責任問題の追及でも知られるなどリベラル色が濃い[3]。日本軍の関与と強制性を認めた1993年の河野談話を否定する動きに対しては、「『看護婦になる』などと業者にだまされた人が多い。日本軍は慰安所を黙認していた。法的、道義的に許されない行為に国家として関与していたことの責任がある」、「戦争を反省して、平和で安全で豊かな社会をつくってきた戦後の歩みこそが誇り」と語り、保守派が過去を反省する姿勢を「自虐」と断じることへの危惧を表明した。
その一方で、1995年に設立された「アジア女性基金」理事としての活動を通じて接してきた、挺対協等の慰安婦支援団体や韓国メディアに対しては、「自らが信じる『正義』だけを追求して、個々の被害者の思いを否定するのは独善以外の何物でもない」と批判している[4]。同時に「韓国社会の反日さえ言っていればいいという体質」に絶望感を感じ[3]、「アジア女性基金」は日韓関係の改善に役立たないことを予想している[5]。「謝罪の意思を示しても評価されないのでは、落胆やいら立ちが出てくる」というのが、いびつな形で現れたのが最近の「嫌韓」論の高まりと分析し、韓国側の強硬な態度が日本に「疲れ」を生んでいると指摘しつつも、もつれた糸をほぐすのは日本側の思い切った対応と考え、「首相が被害者のところに行って深々と頭を下げてほしい。安倍晋三さんがやるはずがないというのが常識だが、だからこそ大きなインパクトがある。日本のため、東アジアのために決断をしてほしい」と語った[4]。
2015年7月、政治学者の三谷太一郎や藤原帰一らと共に、8月の終戦記念日前後に発表されるのではと報道されていたいわゆる「安倍談話」に対し、過去の首相談話を継承するよう求める共同声明を出した[6][7]。