大手門(おおてもん)とは、日本の城郭における内部二の丸または、三の丸などの曲輪へ通じる大手虎口に設けられた城門。正門にあたる。
概要
元は追手門(おうてもん)と書かれ[1]、高知城など、城によっては現在も追手門と表記しているところもある。これに対して背面の門は搦手門(からめてもん)と呼ばれる。
防御のために厳重な築造がされ、大規模な櫓門を設け石垣などにより枡形を成していることが多い。見た目も大きく、目立つように造られる。土造りの城であっても、門周辺のみ石垣を築く場合も多い。また、橋は土橋であることが多い。
大手門前の城下町に由来して全国各地に大手町(又は追手町)の地名が残る。
一覧
以下に列挙した例は一部である。以下の出所については脚注[2][3]を参照されたい。
(以下のいずれも50音順)
現存
- 江戸城西ノ丸大手門 - 江戸城三十六見附のひとつ。渡櫓型の櫓門と高麗門からなる枡形門。うち高麗門は1889年(明治22年)に撤去され、渡櫓門も本来の位置よりやや前方に移動している。同時に宮城正門へと改称された。現在の皇居正門。宮内庁管理のため文化財に指定されていない。
- 大坂城大手門 - 渡櫓型の櫓門と高麗門からなる現存するものでは最大の枡形門[注釈 1]。現在の門は1783年(天明3年)落雷により焼失後、1848年(嘉永元年)に御用金で再建。多聞櫓、千貫櫓、塀三棟を含め国の重要文化財。
- 高知城追手門 - 渡櫓型の櫓門。1801年(享和元年)の再建。国の重要文化財。
- 小諸城大手門 - 二階門型の櫓門。瓦門とも呼ばれ、2008年(平成20年)に修復。国の重要文化財。
- 名古屋城二の丸大手二ノ門(西鉄門) - 渡櫓型の櫓門と高麗門からなる枡形門。内、高麗門形式の二ノ門のみが現存する。櫓門は明治初期に取り壊されている。国の重要文化財。
- 二条城北大手門 - 渡櫓型の櫓門。1626年(寛永3年)の建築。国の重要文化財。
- 二条城東大手門 - 渡櫓型の櫓門。一時、単層の門に改造されていたが1662年(寛文2年)に現在の姿に。国の重要文化財。
- 弘前城三ノ丸追手門 - 二階門型の櫓門。外壁仕上げに真壁造を採用している。国の重要文化財。
- 福岡城下ノ橋御門 - 渡櫓型の櫓門。2000年(平成12年)に1階部分が一部焼失したが、2007年(平成19年)に木造復元。福岡県の重要文化財。
- 丸亀城大手門 - 渡櫓型の櫓門と高麗門からなる枡形門。1670年(寛文10年)の再建。国の重要文化財。
- 松前城本丸御門 – 国の重要文化財。
非現存
- 宇和島城追手門 - 渡櫓型の櫓門。外壁仕上げに真壁造が採用されていた。1664年(寛文4年)の再建。1934年(昭和9年)、天守ととも国宝保存法における国宝(以下、旧国宝)に指定されるが、1945年(昭和20年)7月12日の空襲により焼失。戦後に石垣が道路工事で撤去され、現在は遺構も残っていない。また、場所の関係で木造復元する計画はない。
- 佐倉城大手門 - 二階門型の櫓門。1873年(明治6年)、日本陸軍第一軍官第二師団官営所の用地とするために撤去された。
- 仙台城大手門 - 二ノ丸(現・東北大学川内南キャンパス)脇櫓付近にあった。外壁仕上げに真壁造が採用されていた。1931年(昭和6年)に旧国宝に指定されるが、1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲で焼失。2038年をめどに木造復元される予定。
- 福島城大手門 - 二階門型の櫓門。門櫓の上にシャチを載せていた。既に保存状態が芳しくなかったこともあり、1873年(明治6年)の陸軍鎮台分営の設置時に破却された。
- 彦根城大手門 - 渡櫓型の櫓門と高麗門からなる枡形門。門脇には橋詰冠木御門之上御櫓があった。渡櫓門からも多聞櫓が接続し、二重櫓の御用米口御鉄砲櫓へ繋がっていた。明治初期に取り壊されている。
再建建築
- 江戸城大手門 - 渡櫓型の櫓門と高麗門からなる枡形門。渡櫓は関東大震災に倒壊後修復されたが、1945年(昭和20年)5月25日の東京空襲によって焼失。1963年(昭和38年)に木造復元された。江戸城の正門および奥州街道の起点である(奥州街道もう一か所の起点は日本橋)。
- 大分城大手門 - 渡櫓型の櫓門。多門櫓の上に鐘楼を載せていた。1945年(昭和20年)7月17日の大分空襲によって焼失。1966年(昭和41年)に外観復元された。
- 鹿児島城御楼門 - 二階門型の櫓門。1873年(明治6年)に火災により焼失。平成に入って再建計画が持ち上がり、2020年(令和2年)に木造復元された。
- 金石城大手門 - 渡櫓型の櫓門。多門櫓の上に望楼を載せていた。1919年(大正8年)に撤去されたが、1997年(平成9年)に木造復元された。
- 熊本城南大手門 - 渡櫓型の櫓門。西・南・北と熊本城に3つあった大手門のうち、最も規模が大きかった。明治初期に取り壊され、2002年(平成14年)に木造復元された。
- 熊本城西大手門 - 渡櫓型の櫓門。熊本城に3つあった大手門のうち、最も格式高い門だった。1871年(明治4年)に取り壊され1981年(昭和56年)に西南戦争百年記念で木造復元されたが、1999年(平成11年)の台風で倒壊したため、あらためて2003年(平成15年)に木造復元された。
- 水戸城大手門 - 東京鎮台の第4分営が置かれた[4]後も残されたが、老朽化により明治時代に撤去される[5]。平成末に再建計画が始まり[5]、2020年(令和2年)2月に木造復元された[6]。
- 山形城東大手門 - 渡櫓型の櫓門と北櫓、さらに高麗門からなる枡形門。明治時代に撤去されたが、1991年(平成3年)に木造復元された。
- 掛川城大手門 – 二階門型の櫓門。1995年(平成7年)に木造復元された。
脚注
注釈
- ^ 枡形虎口に設置される一之門(高麗門)と二之門(櫓門)を併設し、枡形周囲を土塀および多聞櫓で囲んだ形式の門。
出典
関連項目
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