大塔村(おおとうむら)は、かつて奈良県の南西部に存在した村である。
2005年9月25日、吉野郡西吉野村とともに五條市に編入され廃止した。
概要
1927年頃の阪本の街並み
地理
奈良県の南部、紀伊半島の中央部に位置し、紀伊山地を東西に分ける十津川沿いに村落を構える山間(やまあい)の村である。村内の96%は森林であり、高地にあって澄んだ空気に包まれているため夜空に広がる星の煌めきは格別である。高地に位置する為、夜間、雲が下降し一時的に霧になる事がある。霧が晴れた後は下界の光を霧が遮断する為、銀河などが比較的良く見える。また、天文台は広い敷地を抱え、観望会などが催される[1]。
気候
- 温暖な気候の分類に入るが、山間部に位置するためか明星ヶ岳山頂付近は亜寒帯性の気候になる。紀伊半島の紀伊山地中央部に位置し、年間降水量が2000mmから3000mmを記録する多雨な地域である[3]。
人口
1920年から1960年まで
- 1920年に実施された国勢調査では3111人であり、1950年の国勢調査では3127人である。この年まで、人口は3000人程度を維持していた。その後は猿谷ダム建設に伴う建設関係者が流入したことから、人口は急増し、1955年の国勢調査では5401人を記録した。ダムが完成すると建設関係者は流出し、さらにダムが完成したことによって集落が水没する地域に居住していた人も流出したことから、1960年の国勢調査では2991人になった[4][2]。
1960年から五條市との編入合併直前まで
面積
奈良県の約3%を占めている[5]。
位置・標高
- 東西は21km・南北は17km・周囲は86㎞である。集落の標高は最高地点は天辻の760m・最低地点は字井の406m・平均標高は583mである[1]。
隣接自治体
行政
村長
- 北村年宏 - 1992年2月11日から2005年9月24日まで(最後の村長)
村章
歴史
村名の由来
後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王が元弘の変の際にこの地の豪族戸野兵衛・竹原八郎らに匿われたことに由来する。
沿革
明治時代から大正時代
昭和時代から五條市編入合併直前まで
-
1936年撮影の大塔村役場
-
阪本の大火
1956年4月22日撮影
産業
- 吉野山地の山岳地帯である地理的条件を活かして林業が盛んであり、それを生計に立てて生活していた。原生林かつ山間部に囲まれている地域にあり、農業には不適な地域であった[7][3]。
施設
教育
合併前まで存在した学校
廃止された学校
- 大塔村立大塔第二中学校
- 大塔村立中原小学校
- 大塔村立永盛小学校
- 大塔村立天辻小学校
- 大塔村立惣谷小学校
- 大塔村立篠原小学校
- 大塔村立辻堂小学校
- 大塔村立阪本小学校
交通
鉄道
村内を鉄道路線は通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR西日本和歌山線五条駅。
道路
国道
県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
観光
- 星のくに(道の駅、天文台、プラネタリウム、宿泊施設、星乃湯)
- 大塔村郷土館
- ふれあい交流館(大塔温泉「夢乃湯」)
- 赤谷オートキャンプ場(森乃湯)
- 高野辻ビューポイント
- 宮の滝
- 水車小屋
祭事
- 1月25日 惣谷狂言(惣谷)・篠原踊(篠原)
- 4月29日 阪本踊り(阪本)
その他
参考文献
- 大塔村総務課『大塔村のあゆみ』奈良県吉野郡大塔村、2005年9月。
脚注
- ^ a b c 大塔村のあゆみ p6
- ^ a b c “旧大塔村のあゆみ”. 五條市. 2019年12月6日閲覧。
- ^ a b 大塔村のあゆみ p9
- ^ a b 大塔村のあゆみ p44
- ^ a b 大塔村のあゆみ p45
- ^ 大塔村役場
- ^ a b c d 大塔村のあゆみ p90
- ^ 大塔村のあゆみ p91
- ^ 大塔村のあゆみ p94
- ^ a b 大塔村のあゆみ p102
- ^ 大塔村のあゆみ p110
関連項目
外部リンク