堤 広長(つつみ ひろなが、1773年3月1日(安永2年2月9日) - 1848年2月9日(弘化5年1月5日))は、江戸時代の公家。権中納言。堤家9代目当主。
参議・堤敬長の子として生まれる。母は冷泉為村の四女である安。また甘露寺篤長の子とする説もある。正室は松平頼裕の娘の菊。幼名は辰千代麿[1]。
1800年1月29日(寛政12年1月5日)に叙爵を受けて従三位となり、後に正二位、権中納言となる[2]。
1848年2月9日(弘化5年1月5日)、死去。戒名は成功徳院[2]。
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