坊城 中子(ぼうじょう なかこ、1928年(昭和3年)5月12日 - 2021年(令和3年)8月16日)は、俳人。
人物
神奈川県横浜市生まれ。俳人高浜虚子の孫で[1]、俳人高浜年尾の長女[2]。俳人稲畑汀子の姉[1][2]。聖路加看護専門学校(現:聖路加看護大学)卒業。1950年、坊城としあつ(本名俊厚)と結婚。1955年より聖路加国際病院に勤務、総婦長を務める。1969年立正佼成会病院、1972年昭和大学烏山病院付属看護学校教務主任、1976年登戸病院看護部長、同年きぬ医師会病院看護学校副校長、2003年内藤病院総婦長。
幼少時より俳句に親しみ、1948年『ホトトギス』に投句、のち同人。夫としあつとともに同誌で活躍した。1959年に看護師として、祖父虚子の最期を看取った。1999年、伊藤柏翠より『花鳥』主宰を継承する[1]。夫の転任にともない3年間滞在したトルコでは、同地の風土に根ざした句を詠んだ。2011年、『花鳥』主宰を息子の坊城俊樹に譲り、名誉主宰に就任する。句集に『櫓櫂』、エッセイ集に『俳句の家』。
2021年8月16日午後1時、老衰のため東京都渋谷区の病院で死去[3][4]。93歳没。
著書
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 『現代俳句大事典』 三省堂、2005年。
- 『ホトトギスの俳人101』 新書館、2010年。
外部リンク