ドンペイ(ドンペイ、1966年7月10日 - )は、日本の俳優。大阪府大阪市北区出身。2023年までの旧芸名は土平ドンペイ(つちひら ドンペイ)。
人物
身長167cm、体重77kg、血液型AB型。特技は野球、カヌー。
野球部の特待生として比叡山高等学校に入学するが、1年のときに故障で途中退部[2]。その後、京都駅で「俳優募集」の張り紙を見つけ、東映京都撮影所のオーディションを受けたところ合格し、2年間俳優養成所に通う[3]。
学校ではスキー部に転部し学園生活を過ごす。高校生活での思い出作りとして、国体に出場する!と決めカヌー競技を始める。努力の結果、高校3年時の奈良国体に出場[4]。1985年に高校を卒業後、元自民党衆議院議員である上田茂行が経営する滋賀県大津市の不動産会社に入社。スポーツ事業部に配属され、カヌーの社会人選手・監督として4回連続国体に出場。そのかたわら、テニスインストラクターの資格を取得。カヌーを引退後、役者熱が再燃し東映京都撮影所に復帰した[5]。その後、仕出し(エキストラ)の仕事があるという理由から松竹京都撮影所に移り、働きながら週末のみ大部屋俳優を始める。29歳のときに、本格的に役者になることを決意。当時すでに結婚していて3人の子どもがいたため周囲には猛反対されたが、「3年だけ時間をくれ」と頼み込んで退職した[6]。
『ミナミの帝王』のオーディションに通って三池崇史に気に入られたのを機に1996年に上京し[7]、Vシネマに多数出演。「平成のVシネマで最も多く死んだ男」の異名を得る[8]。猿岩石主演の『一生、遊んで暮らしたい』(1998年)で全国公開映画デビュー[9]。当時は本名だったが、ネプチューン主演の『ネプチューン in どつきどつかれ』(1998年)の出演から、高校時代のあだ名に由来する現在の芸名に改名。2002年、菅原文太の紹介で以前の事務所に移籍[10]。
2016年のNHK朝の連続テレビ小説『べっぴんさん』で広く知られるようになる[11]。2021年より草津市親善大使(KUSATSU BOOSTERS)に就任。2024年より現名義へと変更[1]。
出演
映画
Vシネマ
- 美女奉行 おんな牢秘抄II(1995年)
- 女とむらい師 べに孔雀(1997年)
- 仁義 20 裏切りの報酬(1999年) - 冴木組 加藤
- 新 銀鮫 六本木金融伝説 (2000年) - ムトウ(ヤクザ)
- 傷だらけの仁義 - 藤堂組菊地組幹部 吉井貞道
- 日本極道史 龍神三兄弟 - 浅野組組員 山崎
- 広島やくざ戦争 シリーズ
- 実録・広島やくざ戦争(2000年) - 打館組組員 西本豊
- 広島やくざ戦争 完結編(2000年)- 共雄会山崎組組員 西本豊
- 続・広島やくざ 流血!第三次抗争勃発!(2001年)- 荒岩組組員 田上聡
- 新・広島やくざ戦争 武闘派列伝 伝説の広島極道 山上功治の生涯(2002年)- 被爆した兵隊
- 極悪 人間魚雷ブルース(2001年) - ヒットマン
- 実録 最後の総会屋(2001年) - マルヤマ
- 首領の女(2002年) - 坂口組藤堂組桐野組若衆 大橋慎吾
- 仁義 27 復讐の銃弾 - 港南連合 川瀬
- 仁義 31 暴力団再武装 - 鷹城組 木原
- 裏稼業列伝 ナニワの虎
- 実録・名古屋やくざ戦争 統一への道 1(2003年) - 城田組佐崎組組員 井上誠一
- 無間地獄 凶悪金融道2(2003年)
- HOKURO 百発病伝説(2003年) - 主演・山谷吾郎(ラジオの売れっ子DJ)
- 実録・竹中正久の生涯 荒らぶる獅子(2003年) - 竹中組組員 徳永正春
- 消しゴム屋1・2(2008年)全2作 - 柴(凄腕ハッカー)
テレビドラマ
テレビ番組
- 逆転人生「殺人のえん罪を晴らせ 43年がかりの逆転劇」(2021年11月22日、NHK総合)ドラマパート・主演・桜井昌司
ウェブドラマ
舞台
ラジオ
関連項目
脚注
外部リンク