国鉄客車の車両形式(こくてつきゃくしゃのしゃりょうけいしき)では、日本国有鉄道(国鉄)及び国鉄分割民営化により国鉄から車両を引き継いだJR各社が保有する客車の形式称号の付与方法について記述する。
JR各社に現存する客車の形式称号の付け方は、国鉄で1953年(昭和28年)に制定された規程を踏襲しているが、完全に遵守している訳ではない。
この内、○は車両の重量を表す記号、●は用途を表す記号、Aは形式を表す番号、Xは同一形式内の製造番号を表す。なお、_は空白(E26系はハイフン)を表す。
換算両数も参照
重量記号が付されるのは、ボギー客車のみである。二軸車(およびかつての三軸車)には重量記号は付されないため、記号は用途記号のみで標記される。[注 2][注 3]
客車は機関車に牽引されることから、運用する際には常に重量を配慮する必要がある。従ってその形式記号の最初に重量記号が含まれている。用途記号が同じ同一車種(ロネ・ハネ・ハ・ニ等、またハとハフも区別する)については落成した順に形式番号を付けたため、重量記号のみが異なる形式番号(例えば、オハ35形に対するスハ35形)は存在しないのが原則であった[注 4]。例としてハとハフについて、2軸ボギー車の最初の30 - 36の形式[注 5]を表に示す。12系登場以後、形式番号の区分の仕方が変わったため国鉄末期時点ではこの原則が大幅に崩れ、形式番号が同じで重量記号のみが異なる車両が大量に出現した[注 6][注 7][注 8]。
ここでの「自重」とは、客車自体の重量に、定員分の乗客又は規定積載量の荷物・郵便物の重量を加えたものをいう。従って、荷物車等には積載量を減らして重量クラスを落とす措置をしたものも存在する。(60系客車のスハニ→オハニ61や10系客車のオユ12/スユ13等が該当)
以下に国鉄およびJRグループでの客車重量記号を示す(多くは私鉄でも準用された)。重量記号には各クラス毎に語源がある。
2軸の四輪客車と3軸の六輪客車。単に「ハ499」「ロ4820」(いずれも実在車号)と等級記号だけで表記する。 大半は明治から大正初期製造の木造車だが、例外的に改造車などでは昭和4年製造の気動車キハニ5000形が戦中にエンジンを降ろしたハニ5000形のように鋼製車体の車両も存在していたほか、JR時代にも2001年に至ってワム80000形貨車改造のハテ8000形 (8001) がJR北海道に登場した(2013年廃車)。
これ以降のクラスはボギー車となる。
コ=22.5t未満。現存しない。「小形(こがた)」の略とされる。 明治時代のボギー客車は、殆どがホ級であったが、北海道炭礦鉄道の客車は、台枠や台車の一部も木製であり、所属したすべての客車がコ級の小型ボギー車であった。JR化後も1両だけ車籍を有していたのが新幹線車両輸送限界測定用の試験車、コヤ90 1(1961年にオロ31 104の車体を撤去して測定用の鉄骨を設置。1990年3月1日廃車)である。
ホ=22.5t以上27.5t未満。現存しない。「ボギー車→ボ→ホ」が語源という説と、「本形→ホンガタ→ホ」が語源という説がある。実際には「コ」級もボギー車である。明治末期 - 大正初期の二・三等用木造2軸ボギー客車である「中形基本客車」(ホハ12000形等)が代表的な例。
ナ=27.5t以上32.5t未満。「中形→ナカガタ→ナ」、もしくは「並形→ナミガタ→ナ」が語源とされる。2軸ボギー車と3軸ボギー車とがあった時代に中形とされた2軸ボギー車が当初該当したと言われるが、のちには軽量車両の記号となった。
大正中期の木造2軸ボギー客車である「大形基本客車」(ナハ22000形等)や戦後の軽量客車ナハ10系、特急用の20系が代表例。
但し20系は1970年代以降の改装で実際の車重が「オ」級に増大してしまったが、表向きの形式である「ナ」は変えず、識別符号(三角印 ”△” )を付けるだけでそのまま済ませた。
ナ級はJR化後もナハフ11形(2021・2022)が車籍を有して残存していたが、1995年(平成7年)に廃車となり一度消滅した。しかし4年後の1999年(平成11年)、JR北海道ナハ29000形(2018年廃車)が改造により登場したことにより復活し、現在はJR西日本ナハ35 4001(2017年製造)のみが該当する。
オ=32.5t以上37.5t未満。「大形→オオガタ→オ」が語源とされる。当初は木造3軸ボギー車が「大形車」として該当した(例:1912年に製作された木造展望車オテン9020形など)。昭和時代に入り鋼製車体が普及すると通常形の2軸ボギー客車が該当するクラスとなった。
12系・14系・24系・50系など、1970年代以降に製造された国鉄客車の多くはこのクラスに該当する。
ス=37.5t以上42.5t未満。「鋼鉄車→スチールカー→ス」が語源とされるが、「凄く大きい→ス」とする説もある。1927年以降鋼製車体の客車が登場したが、3軸ボギー車については重量が著しく増大したことからこのクラスとなった[注 9]。2軸ボギー車でもスハ32形やスハ43形、スロ60形などかなり多数の形式が該当している。戦後に軽量構造が一般化した後は、電源エンジン搭載車や個室寝台車などが該当する。
マ=42.5t以上47.5t未満。語源は英語のMaximum(極大)から「マキシマム→マ」であるという説が有力である。「ますます大きい→マ」「まことに大きい→マ」という説もある。
昭和初期の鋼製3軸ボギー客車の中でも、一部の優等車と重量荷物車が該当。戦後は「ス」級展望車・優等寝台車の冷房化改造で重量が増加し[注 10]、「マ」級が増えた。
現在はマヤ35形などの事業用車両やE26系の食堂車(マシE26形)、77系客車の全車など少数が在籍する。
カ=47.5t以上。語源は、並外れて大きいという意味の「濶大(かつだい)」から「カツダイ→カ」。「限りなく大きい」、「格別に大きい」の「カ」との説もある。
20系・24系・E26系といった、集中電源方式の固定編成客車における、発電設備搭載車両が代表例であるが、それ以前はカシ36形(1951年)や、カニ38形(1959年)など、特殊例があるのみであった。
用途記号は、客車の用途に応じて単独で、また合造車の場合は下記の順番で重ねて使用される。AB寝台合造車は「ロハネ」、旧一等二等寝台合造車は「イロネ」とそれぞれ標記される。また備考欄の→の左は1960年の二等級制への移行以前の等級(旧で示す)、右はそれから1969年のモノクラス制移行までを示す。
緩急車については記号の末尾に「フ」が加えられるが、同様の設備を有していても展望車、郵便車・荷物車・事業用車には用いない[注 11]。緩急車とは車掌室を有し、手ブレーキまたは車掌弁がある車両のことである。
1941年に制定された称号規程では、鋼製客車の十位の数字は木造客車との区別を容易にするため3-9と設定されたが実際には3-4が用いられ、戦後、戦災復旧客車や鋼体化客車の登場とともに範囲が広がった。1953年称号規程では1・2も加えられ、軽量客車、固定編成客車等に使用された。
十位の数字は特に定義づけられてはいないが、以下に1953年称号規程以降、事実上用いられた区分を示す。なお、()内の車両はこの規程が制定された後に設計・製造されたものである。
20系固定編成客車登場以後の客車においても、同じく規程上ではなく事実上用いられた区分が存在する。JR化後に新製された車両のうち、E26系(代用電源車カヤ27-501を除く)はこの数字の前にJR東日本の車両を示すE(Eastの頭文字)が付く。
一位の数字は台車の車軸数を表す。1928年の形式称号規程では、0 - 6が2軸ボギー車、7 - 9が3軸ボギー車であった。現用の規程は1953年の規定改正により制定されたもので、この改正によりそれまで一位が7であった3軸ボギー客車は、形式称号が変更された。
製造番号は、原則として製造順に1から番号が付けられるが、仕様や用途の違いによって番台区分されることがある。
この内、共通なものとして電気暖房を設備する一般形客車については、原番に2000が加えられる。電気暖房用の設備は1t強の重量があるため、設備取付けによって重量記号が上の区分に変更されることがある。こうした場合には、同じ用途で重量記号のみ異なる同形式になるような形式数字は付与しないとの原則(前述)に則り、別の形式数字が付与される。そのため、本来同形のものであっても、電気暖房設備の有無によって形式が分かれる(例えば、オロ35形(電気暖房なし)とスロ43形(電気暖房付き)等)ことがある。
2軸車・3軸車、大正期の制式木造客車や、私鉄の買収によって国鉄籍を得た客車は、1928年に制定された称号規程による形式番号が、1941年鋼製客車に独自の称号規程が制定された後も、改称されることはなかった。その後1953年の規程改正で変更が行われた。
1953年規程改正後は、2軸車は10 - 999(3軸車は除外)、雑形2軸ボギー車は1000 - 7999、雑形3軸ボギー車は8000 - 9999、中形2軸ボギー車は10000 - 17999、中形3軸ボギー車は18000 - 19999、大形2軸ボギー車は20000 - 27999、大形3軸ボギー車は28000 - 29999とされた。すなわち台車による千位の数字での区分は0 - 7が2軸ボギー車、8、9が3軸ボギー車である。なお改番過程で鋼製雑形(当時あった貨車改造の軍務車、買収私鉄から引き継いだ客車等[3])は1000 - 2999にまとめ、営業用を2599以下、事業用を2600以上とした。また木造事業用客車についても各区分ごとにヤ・エ・ルの種別と重量記号によって小区分した番号を付けた。職用車・救援車・配給車ごとにそれぞれ下4桁を2軸ボギー車は 6800-, 7000-, 7500- に、3軸ボギー車は 9800-, 9900-, 9950- に区分し、職用車は重量および用途によりさらに形式を区分し、救援車および配給車はもっぱら重量によって形式を区分した(そのため同じ形式でもさまざまな出自や構造を持つ車両が混在した)[4]。
この範疇に属する客車は、鋼製雑形客車のナエ2700が1971年6月11日に廃車されて消滅した[注 15]。(木造雑型客車の最後は1964年1月31日廃車のナヤ9836である[6]。)その後貨車の改造により再度JR北海道にこの範疇の車両が存在したが、番号の付与体系についてはこの規定に全く則っていない。
客車の形式変更に関わる規定の主な歴史、改正を纏めると次のとおりである。なお1953年規程より前は四輪・六輪等であるものも2軸・3軸と記す[7]。
この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。