国本村(くにもとむら)は栃木県の中部、河内郡に属していた村である。
地理
北部は山地、西部は姿川流域を除いて丘陵地で、中部以南は平坦地であった。
歴史
陸軍の進出と都市化
1907年(明治40年)、大日本帝国陸軍第14師団が宇都宮に置かれることが決まると、村内の宝木に兵舎や練兵場が整備され、1908年(明治41年)に歩兵第66連隊、1909年(明治42年)に歩兵第59連隊が相次いで着営した。第66連隊は一旦、軍備縮小のために廃止され、跡地には栃木県師範学校が移転した。
終戦後は、宇都宮市に隣接する村の南部(大字戸祭 字 寺内・柿塚・野白、大字宝木 字 西岡・山崎・六軒・江黒・細谷)は都市化が進んで商工業に従事する住民の割合が増え、兵舎跡が引揚者等の収容所、練兵場跡が集団開拓者の開拓地となったことで人口は急増した。そこで中学校の増設が必要となったが、村に中学校を新設する余裕はなかったため、付近にあった宇都宮市立の中学校に注目し、1952年(昭和27年)6月1日に村の南部を分離して宇都宮市へ編入することとなった。
村名の由来
村内で大きな面積を占める宝木と新里の二派に分かれ、長老らが連夜村名を議論したが互いに譲らず、紛争が発生しそうになった際に、漢学の素養がある新里の皇漢医が「国の基礎(本)となる立派な村」の建設を願って「国本村」としてはどうかと提案し、全会一致で採用された。
教育
脚注
参考文献
関連項目