名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2018年〈平成30年〉6月26日)は、日本の俳優。名和 広の表記もある。本名・与縄 章(よなわ あきら)。
熊本県熊本市出身(出生地は広島県)[1]。実家は能の金春流で、20歳まで能楽を学んだ。熊本県立熊本高等学校卒業。熊本大学法文学部中退。日本大学芸術学部在学中の1954年(昭和29年)[1]、日活ニューフェース第1期として日活に入社し俳優デビュー[1]。能楽は破門となる[1]。『若いお巡りさん』『地底の歌』『快傑耶茶坊』等に出演。主演映画も複数あり、『地底の歌』では急速に売り出し中の石原裕次郎を押さえてポスター序列トップである(この時点で裕次郎はダブル主演待遇どまりでトップは一度もない)。石原慎太郎著『弟』[信頼性要検証]によると、弟の裕次郎が日活のオーディションにいったん落ちたのは、裕次郎の顔の輪郭によく似た名和を日活が売り出していたためと書かれている。
その後、裕次郎は不動のトップ俳優として日活の一枚看板となる。名和は1957年(昭和32年)、松竹に移籍することになる。
1963年(昭和38年)、フリーとなる。以降、主に悪役として映画、テレビドラマ等で活躍。東映ヤクザ映画での憎々しい親分や組長・代貸、時代劇では『水戸黄門』などの悪代官・悪徳商人で知られる。
1973年(昭和48年)の『仁義なき戦い』では[2]、第一部で菅原文太扮する広能昌三に射殺される呉の土居親分役を、第二部『仁義なき戦い 広島死闘篇』では、黒縁メガネを掛け別人となって広島の村岡親分役として再登場。第三部『仁義なき戦い 代理戦争』では劇中、同じ村岡親分役で白黒スチール写真で1カットのみ出演している[3]。
悪役や色敵で知られるものの、素顔の名和は、温厚で知的な人物として広く知られている。
所属は、芸映、東企画、コモアートコーポレーション、蛭田企画を経て、フリーとなった。
高齢による体調不良等もあり、2012年より都内の介護施設に入居していた[2]。
2018年(平成30年)6月26日午前7時32分、急性腎不全のため東京都内の病院で死去[2][4]。85歳没。