吉田 和男(よしだ かずお、1948年1月10日 - )は、日本の経済学者、元財務官僚。京都産業大学教授。 専門は、数理経済学、公共経済学、財政学、非線形経済学、日本経済論、日本財政論、複雑系経済学、進化経済学、ベンチャー経済論、IT経済論、憲法学、陽明学、哲学など、幅広い分野を研究している。小泉内閣時には竹中平蔵の盟友として活躍した。京都大学経営管理大学院(ビジネススクール)の設立に寄与し、初代院長を務めた。大阪府池田市出身。
啓蒙活動も積極的に行い、非常に多くの著書を出版している。保守的な思想で知られ、新しい歴史教科書をつくる会の賛同者の一人でもある。現在の日本社会を"精神なき社会"として批判し、1996年からは全人格的教育の場として、『伝習録』の読解などを行う陽明学の私塾「桜下塾」を主催する。その他学会役員や政府委員などを多数務める。
関西ベンチャーキャピタルや21世紀日本フォーラムの設立にも携わる。
2002年の京都府知事選では京都商工会議所などが擁立に向け動いたが、結局桜下塾にて会見を開き、出馬断念を発表した。背景に、府会自民党が推薦候補をめぐって分裂しかけたことがある。
政治家では、野中広務(京都府知事選の推薦者)・伊吹文明(旧大蔵省出身)・前原誠司などと親交がある。
酒豪として有名であるが最近はほどほどに控えている。京都大学での学生時代は工学部のゼミナールでもいかに本州四国連絡橋の合理的なルートを算出するかという国からの依頼研究に取り組んでいたという。
経済学、工学に加え、法学の博士号を取得する予定であったが、高坂正堯の死により史上初の「3博士号取得」は実現しなかった。博士論文になる予定だった内容は、『安全保障の経済学』に集約されているという。
京都大学経済学部において、学部ゼミナールでは、2回生で哲学を題材にしていた。カントやショウペンハウエルなどを題材にして、旧制高校の教養教育の意義を説く。3・4回生では、分野を問わず最先端の経済学を学ぶ。そのほか、官庁や企業の見学や、法政大学の黒川和美ゼミ、大阪大学の山内直人ゼミとのディベートを行っていた。
京都大学退官に伴い、吉田がかつて担当していた講義の一部(公共政策論)を敦賀貴之が受け継いでいる。数理経済学序論については、2013年12月現在担当教員はいない。