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この項目では、海軍軍人について記述しています。実業家の同名の人物については「吉田俊雄 (実業家)」をご覧ください。 |
吉田 俊雄(よしだ としお、1909年〈明治42年〉5月7日 - 2006年〈平成18年〉12月)は、日本の海軍軍人、作家。最終階級は海軍中佐。長崎県佐世保市出身。
略歴
旧制福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)より海軍兵学校へ進む。病気のため留年し1931年(昭和6年)11月、123人中41番で卒業した(59期)。
1933年(昭和8年)4月少尉任官、翌年11月中尉、1937年(昭和12年)4月海軍大学校選科学生[注釈 1]。この間大尉に進級している。第28駆逐隊附、重巡洋艦「妙高」分隊長を経て、軍令部出仕(3班8課)となり、日蘭会商の随員を務めた。帰国後再び軍令部出仕となり、臨時戦史部に所属。第二次世界大戦中は主に軍令部3部8課に勤務。1942年(昭和17年)11月少佐。1944年(昭和19年)2月、軍令部勤務のまま永野修身元帥の副官となり[注釈 2]、また米内光政、嶋田繁太郎の副官を務めている。1945年(昭和20年)9月中佐。海軍省出仕となり、同年11月予備役となった。
戦後は公職追放を経て[1]、防衛庁事務官、小松製作所勤務のほか、旧日本海軍に関して数々の著作を残す。晩年に至るまで執筆活動を続け、2006年(平成18年)に死去。享年97。
著作
文春文庫
- 四人の連合艦隊司令長官
- 五人の海軍大臣
- 四人の軍令部総長
- 海軍名語録
- 海軍参謀
- 日本陸海軍の生涯
- 日本海軍のこころ
光人社NF文庫
- 戦艦比叡
- 指揮官と参謀
- 造艦テクノロジーの戦い
- 指揮官たちの太平洋戦争
- 悲劇の軍艦
秋田書店
親族
- 父
- 吉田 幸雄(海軍中佐)
- 弟
- 吉田 隆(海軍技術少佐)
- 妻
- 吉田 キヨ(鶴田文八海軍中佐長女)
- 義弟
- 鶴田 功(海兵72期、海軍中尉)
脚注
注釈
- ^ 59期は戦局急迫により海大が閉鎖されたため甲種学生を受験することができなかった。
- ^ 永野は吉田の父の海軍兵学校の同期生である。
出典
参考文献
- 秦郁彦 編著 『日本陸海軍総合辞典』 東京大学出版会。
関連項目