吉水神社、𠮷水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社。旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっている。「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)である[注釈 1]。
社伝では、白鳳年間に金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)として役行者により建立されたと伝えられる。
文治元年(1185年)12月には源頼朝に追われた源義経、武蔵坊弁慶や静御前などが5日間吉水院に身を潜めている。
南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸した時、吉水院の宗信法印の援護を受けて吉水院に行宮を設け、一時居所とした。後醍醐天皇の崩御の後、後村上天皇が後醍醐天皇の像を作って吉水院に奉安している。
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉が行った吉野の花見の際には吉水院はその本陣とされ、5日間滞在している。現在も残る名勝の庭園は、その際に秀吉自らが造ったものであるという。
明治時代に入ると神仏分離令と国家神道化の観点から天皇を仏式で供養することが問題視され、1871年(明治4年)5月に五条県が吉水院を神社に改めて「吉野神社」とする案を太政官政府に提出した。後醍醐天皇を祀る神社を別に作ることを計画していた[注釈 2]政府は五条県の案を却下したが、金峯山寺の廃止が迫る情勢となったことから、奈良県が神社への改組を働きかけ、1874年(明治7年)12月17日に吉水院は後醍醐天皇社の名で神社になることが太政官に承認された。
1875年(明治8年)2月25日、社名を吉水神社に改称し、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀し、やがて村社に列している[1]。
現在、本殿には2001年(平成13年)に焼失した勝手神社の祭神が仮遷座されている。
境内からは「一目千本」と呼ばれる中千本と上千本の桜がよく見える。
吉野山 - 吉野水分神社 - 金峯神社 - 金峯山寺 - 吉水神社 - 大峯山寺
熊野本宮大社 - 熊野速玉大社 - 熊野那智大社 - 青岸渡寺 - 那智の大滝 - 那智原始林 - 補陀洛山寺
丹生都比売神社 - 金剛峯寺 - 慈尊院 - 丹生官省符神社
大峯奥駈道 - 熊野参詣道<中辺路※ - 小辺路 - 大辺路(鬪雞神社を含む)※ - 伊勢路> - 高野参詣道※<町石道※ - 黒河道※ - 京大坂道不動坂※ - 三谷坂(丹生酒殿神社を含む)※ - 女人道※>
この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
この項目は、奈良県に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/奈良県)。
この項目は、神道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 神道/ウィキプロジェクト 神道)。
この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。