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原田 康子(はらだ やすこ、1928年1月12日 - 2009年10月20日)は日本の小説家である。本名は佐々木康子(旧姓:原田)[1]。
来歴・人物
1928年(昭和3年)東京府生まれ、2歳から北海道釧路市で育つ[2]。市立釧路高等女学校(現・北海道釧路江南高等学校)卒業後、1949年から東北海道新聞(のちの釧路新聞)に勤務[2]。
1949年(昭和24年)に釧路の同人雑誌『北方文芸』に処女作「冬の雨」を発表し[注 1]、以後も同誌およびその後継誌に相当する『北海文学』を中心に短編・長編を発表する[注 2]。1951年(昭和26年)、東北海道新聞社の同僚と結婚[6]。1953年(昭和28年)、前年10月に鳥居省三らが釧路で創刊した同人雑誌『北海文学』[7][8]に同人として参加[9]、初めての長編小説「廃園」を発表[2]。1954年(昭和29年)、新潮同人雑誌賞に「サビタの記憶」で応募、最終候補に残って伊藤整らの高い評価を得る。翌1955年(昭和30年)から『北海文学』誌上に長編「挽歌」を10回に分けて連載、同人誌連載中から出版や映画化の打診があった[2]。1956年(昭和31年)に東都書房(講談社)から単行本『挽歌』として出版されると無名作家の単行本にもかかわらず翌年には113版(113刷)を数えるベストセラーとなり、五所平之助監督による映画化も相俟って大きな反響を呼んだ[10]。『挽歌』は翻訳され、海外数ヶ国でも出版されている。また1991年には、『満月』が『満月 MR.MOONLIGHT』のタイトルで映画化されている。
晩年まで意欲的な創作活動を展開し、生涯に『挽歌』(1956年)で第8回女流文学者賞を、『蝋涙』(1999年)で第38回女流文学賞を、『海霧』(2002年)で第37回吉川英治文学賞を受賞している[11]。
人気作家となった後も、北海道在住のまま執筆活動を続けていたことでも知られ、2003年(平成15年)に北海道文化賞、北海道新聞文化賞を受賞した。また、競馬、将棋を趣味とし、それらについてのエッセイ集『はなれ駒あそび駒』もある。1998年(平成10年)の将棋王座戦の観戦記を執筆し、翌年、第11回将棋ペンクラブ大賞(観戦記部門賞)を受賞した[12]。
2009年(平成21年)10月20日、肺炎のため札幌市内の病院で逝去[1][11][13]。
2023年(令和5年)1月28日から4月23日まで釧路文学館で生誕95年を記念した企画展「原田康子の足跡とその作品展」が開催された[14][15]。
作品リスト
- 『挽歌』 東都書房 1956 (のち角川文庫、新潮文庫)
- 『サビタの記憶』 新潮社 1957 (のち角川文庫、『サビタの記憶・廃園』1991 新潮文庫)
- 『廃園』 筑摩書房 1958 (のち角川文庫)
- 『輪唱』 東都書房 1958 (のち角川文庫)
- 『いたずら』 東都書房 1960 (のち集英社文庫)
- 『病める丘』 新潮社 1960 (のち新潮文庫)
- 『殺人者』 中央公論社 1962 (のち角川文庫、新潮文庫)
- 『望郷』 文芸春秋新社 1964 (のち文庫、角川文庫)
- 『北の林』 新潮社 1968 (のち新潮文庫)
- 『北国抄』 読売新聞社 1973 (のち角川文庫)
- 『虹』 作品社 1979 (のち集英社文庫)
- 『日曜日の白い雲』 講談社 1979 (のち講談社文庫、角川文庫)
- 『素直な容疑者』 作品社 1980 (のち講談社文庫、角川文庫)
- 『遠い森』 作品社 1980 (のち集英社文庫)
- 『恋人たち』 新潮社 1982 (のち新潮文庫)
- 『鳥のくる庭』 講談社 1982 (のち講談社文庫)
- 『風の砦』 新潮社 1983 (のち新潮文庫、講談社文庫)
- 『満月』 朝日新聞社 1984 (のち新潮文庫)
- 『星の岬』 集英社 1985 (のち集英社文庫)
- 『イースターの卵』 朝日新聞社 1986 (のち朝日文庫)
- 『窓辺の猫』 講談社 1988 (のち講談社文庫)
- 『はなれ駒あそび駒』 講談社 1991 (のち講談社文庫) ※エッセイ集
- 『聖母の鏡』 新潮社 1997 (のち新潮文庫)
- 『蝋涙』 講談社 1999 (のち講談社文庫)
- 『父の石楠花』 新潮社 2000
- 『海霧』 講談社 2002 (のち講談社文庫)
映像化作品
映画化
テレビドラマ化
- 『挽歌』(1961年放送、1966年放送、1971年放送、1982年放送)
- 『私は忘れたい』(1972年 - 1973年放送、1977年放送) ※原作は「星から来た」(『北の林』所収)。
- 『春のもつれ』(1974年放送) ※原作は『輪唱』。
- 『さよならの夏』(1976年放送) ※原作は『廃園』。
関連文献
- 永田秀郎『「北海文学」の航跡: 作家、原田康子「挽歌」のナビゲーション』言海書房、2003年5月。
- 原田康子 著、北海道文学館 編『原田康子の北海道: 小説「挽歌」から50年』北海道立文学館、2005年9月。
- 北海道文学館 編『原田康子: 「挽歌」から「海霧」まで』北海道新聞社、2010年10月。
- 盛 厚三『「挽歌」物語: 作家原田康子とその時代』釧路市教育委員会〈釧路新書〉、2011年10月。
- 南富鎭『原田康子の挽歌:北海国の終焉』作品社、2024年9月。
脚注
注釈
- ^ 『'89 : 北の文学』掲載の原田康子のプロフィール紹介に「〔昭和〕24年から東北海道新聞社の記者となる。同じ年、『北方文芸』に『冬の雨』を発表、以後意欲的な創作活動を続ける。」(p. 81)とある[2]。「冬の雨」を掲載した『北方文芸』は1949年(昭和24年)3月から1952年(昭和27年)3月までに全5号を刊行した釧路の文芸同人誌で、札幌で1968年(昭和43年)1月に創刊された同題の月刊文芸誌『北方文芸』[3]とは異なる。『北海道文学大事典』の釧路「北方文芸」項(鳥居省三執筆)は、「創刊時の同人はほとんど、戦前に何らかの形で文学活動を持っていた。掲載された作品では渋谷芳雄「白い夜」、京谷健「北国の恋情」、佐々木武観「淡雪」(戯曲)が創刊号で注目を浴び、2号の原田康子「冬の雨」は事実上原田の処女作と位置づけていいもの。」「廃刊時の同人は、いわば世代交代現象を起こしていて、その後すぐ鳥居省三を中心とした「北海文学」の創刊に、ほとんどの作家が移行した。」と記す[4]。
- ^ 原田は2002年(平成14年)に開催された『北海文学』創刊50周年記念会に出席している[5]。
出典
参考文献
- 山川 黎「原田康子 : 夢みるころを過ぎても」『'89 : 北の文学』、北海タイムス社、1990年6月、78-81頁。
関連項目
- 小松伸六 - 釧路生まれの文芸評論家。原田を発見し、高く評価した。
- 大崎善生 - 北海道札幌市出身の作家。実家が原田宅の隣にあり小学校時代に交流があった。
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