千島 徹(ちしま とおる、1981年5月11日 - )は、埼玉県川越市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
来歴
浦和レッズのユース出身。トップ昇格後、2003年のナビスコカップ、対FC東京戦にてプロ初得点を挙げた。これは浦和レッズのユース出身選手としてのプロ初得点でもあった。2005年以降は浦和で出場機会がなく、2006年シーズン途中に愛媛FCに完全移籍。
2007年5月に左膝前十字靭帯に重傷を負い戦列を離脱。2008年の終盤に復帰した。
2009年11月16日、2009年シーズン限りで現役引退すると発表した。
2011年1月2日、埼玉県社会人サッカーリーグ1部、狭山ラトルズSCで現役復帰するも[1]、2012年3月26日に勤務先であるサッカースクールの指導との両立が困難な為、退団した[2]。
その後、2015年に千島の故郷である川越市で設立されたNPO法人、川越FUTUREで代表を務め、サッカースクールを実施しながら2019年途中からトップチームの選手兼任監督となり、同クラブを川越市1部リーグから埼玉県3部リーグへと昇格させた[3]。2020年はトップチームの指揮を浦和レッズの先輩にあたる広瀬治に委ね[4]、自らはNPO代表とトップチーム選手となった。
人物
- 画やイラストを描く趣味を持っており、サッカー雑誌でたびたびコラムとともに紹介された。また、三線も趣味として嗜んでいることも紹介された。
- 過去に幾多の奇抜な髪型で登場したり、かつて浦和が襟付きのユニフォームを採用していた際、その襟を立てて自己主張していたこともあった。
- 引退を発表した直後の愛媛FCホーム最終戦では、「ファンへの最後の顔向けを」として監督からベンチ入りを打診されたが、「戦術を優先してほしい」としてこれを断った。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2000 |
浦和 |
30 |
J2 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0
|
2001 |
23 |
J1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
2002 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0
|
2003 |
15 |
8 |
0 |
2 |
1 |
1 |
0 |
11 |
1
|
2004 |
1 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
5 |
0
|
2005 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
2006 |
0 |
0 |
0 |
0 |
- |
0 |
0
|
愛媛 |
32 |
J2 |
18 |
1 |
- |
2 |
0 |
20 |
1
|
2007 |
7 |
8 |
0 |
- |
0 |
0 |
8 |
0
|
2008 |
2 |
0 |
- |
0 |
0 |
2 |
0
|
2009 |
15 |
1 |
- |
0 |
0 |
15 |
1
|
2011 |
狭山 |
埼玉県1部 |
0 |
0 |
- |
- |
0 |
0
|
2012 |
0 |
0 |
- |
- |
0 |
0
|
通算 |
日本 |
J1
|
11 |
0 |
7 |
1 |
1 |
0 |
19 |
1
|
日本 |
J2
|
43 |
2 |
1 |
0 |
3 |
0 |
47 |
2
|
日本 |
埼玉県1部
|
0 |
0 |
- |
- |
0 |
0
|
総通算
|
54 |
2 |
8 |
1 |
4 |
0 |
66 |
3
|
代表歴
注釈
関連項目
外部リンク