北野 貴之(きたの たかし、1982年10月4日 - )は、北海道札幌市豊平区出身[1] の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
北海高校出身で、山瀬功治は高校の1年先輩にあたる。高校1年次の終わり頃にフィールドプレーヤーからGKに転向。
2003年に札幌大学を中退しアルビレックス新潟(当時J2)に加入。野澤洋輔・木寺浩一に次ぐ第3GKであったが、2006年のJリーグカップ予選リーグ第3節・清水戦(4月26日)で公式戦デビュー。この試合で勝利に貢献すると、続く4月30日のJ1第10節・G大阪戦にも抜擢されJ1デビュー戦を勝利で飾った。以降、負傷欠場したJ1第23節ジュビロ磐田戦を除く全ての公式戦でフル出場し、クラブの「顔」であった野澤から正GKの座を奪取した。この年は公式戦全41試合にフル出場し、チームの躍進を支えた。2008年、2009年もほぼ全ての試合にレギュラーとして出場した。
2010年、大宮アルディージャに完全移籍[2]。移籍1年目は、前年までの正GK江角浩司を抑えて開幕スタメンを獲得すると、以降一度もレギュラーを譲ることなくリーグ戦全試合フル出場を達成した。続く2011年も正GKの座を守り3年連続のリーグ戦全試合フル出場。2014年は大熊清監督の下で[3]出場を続けていたが、4月の神戸戦において右肩関節を亜脱臼し離脱[4]。同年限りで5年間在籍した大宮での契約を満了した。
大宮退団後はフリーの状態が続いたが、2015年8月6日に大熊が強化部長を務める[3]セレッソ大阪への加入が発表された[5]。2016年シーズンを以て契約満了となり退団[6]。金鎮鉉が正GKとして君臨しておりトップチームでの試合出場は無かったが、選手会長を務めJ1復帰を果たしたチームの纏め役としてその雰囲気作り等に一役買った[7]。
再びフリーとなり、この間は滝行や海外での生活を行う。アラブ首長国連邦滞在中には元チームメイトの増田誓志とも会った[8]。
2017年、南雄太をはじめゴールキーパーの負傷が相次いだ横浜FCに加入オファーを受け入団[9] したが、リーグ戦は高丘陽平の前に出場機会はなく天皇杯の1試合のみ出場し、2017シーズン限りで退団[10]。
2018年、ガイナーレ鳥取に完全移籍加入[11][12]。開幕から先発出場を続けてきたが、8月のトレーニングゲーム中に負傷し離脱[13]、12月には右膝を手術した[14]。2019年9月のJ3第23節・SC相模原戦で1年2ヶ月ぶりに公式戦に出場し、以降最終戦まで先発出場した。同年シーズン終了後、契約満了で鳥取を退団[15]。
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