北原 武夫(きたはら たけお、1907年2月28日 - 1973年9月29日)は神奈川県出身の小説家。
神奈川県小田原市の医家に生まれる。神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)を経て、家業を継ぐべく旧制新潟高等学校理科に入学するが父に反抗して中退し、慶應義塾大学予科に入学。慶應義塾大学文学部仏文科に進むが国文科に転じ、1932年に卒業。在学中に、井上友一郎、田村泰次郎らの同人誌『桜』に参加。
都新聞社に入社。横浜支局に勤務。1934年、都新聞社本社に転勤。この間、1933年に宇野千代と知り合う。1936年、宇野千代と共に日本最初のファッション雑誌『スタイル』を創刊。1938年、『妻』を発表して芥川賞候補となり文壇にデビュー。1939年、吉屋信子および藤田嗣治の媒酌により宇野千代と結婚。1964年、北原から申し出て離婚。この離婚は話題を呼び、1965年8月号の婦人倶楽部では「宇野千代さんと別れた北原武夫氏の告白」として特集記事が組まれた[1]。同年10月、交際していた女優の公卿敬子と再婚[2]。
1973年9月29日、糖尿病による腎不全のため慶應義塾大学病院で死去。戒名は光芸院武誉碩文居士[3]。
通俗的な心理小説で人気を博した。門人に佐藤愛子や川上宗薫がいる。
関連資料が小田原文学館に展示されている[4]。
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