伊藤義教

伊藤 義教
人物情報
生誕 (1909-02-23) 1909年2月23日
日本の旗 日本山口県大津郡三隅町
死没

1996年10月23日(1996-10-23)(87歳没)

[1]
日本の旗 日本京都府
出身校 京都帝国大学
学問
研究分野 東洋学(西アジア・イラン)
研究機関 京都大学京都産業大学大阪外国語大学東海大学[2]
学位 文学博士
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伊藤 義教(いとう ぎきょう、1909年2月23日[3] - 1996年10月23日[3])は日本のイラン学者。京都大学名誉教授

経歴

出生から修学期

1909年、山口県大津郡三隅町で生まれた[3]旧制福井中学校[3]旧制姫路高等学校[3]を経て、京都帝国大学文学部に進むと、梵語梵文学を専攻し榊保三郎足利惇氏に師事。1935年に卒業した[2]

オリエント学研究者として

1940年、京都帝国大学大学文学部副手に採用された[3]。翌1941年に同講師昇格[3]。1947年からは新制大学発足に伴い、京都大学文学部講師[3]。1953年、学位論文『マーヌシュチフル書翰集の解読』を京都大学に提出して文学博士号を取得[4][3]。1968年、文学部教授に昇格[3]。1972年に京都大学を定年退官し[3]、1974年名誉教授となった[3]

退官後は、1977年に京都産業大学外国語学部教授となり[3]、1980年に定年退職[3]。在任中には、大阪外国語大学東海大学でも教壇に立った。学界では、1974年より日本オリエント学会名誉会員[3]

宗門においては、山口県三隅町(現:長門市)の浄土真宗本願寺派明恩寺第17世住職でもあった[5]

1996年に京都で死去[2]

研究内容・業績

専門はオリエント学。主要著・訳書に『古代ペルシア』、『ゾロアスター研究』。

アヴェスター語パフラヴィー語を同等に重要視して扱い[6]、日本のゾロアスター教学に大きな足跡を残した[6]。一方で、教学の主流とは断絶した考えを持ち[6][7][8]、学会では評価されなかった[6][9][10]青木健は「伊藤氏の学問的なバランス感覚にはかなり問題があったのではないかと判断する」と評しつつも[6]、「文献翻訳に徹した論文は名作」と評価した[6]

NHK特集天平の秘宝-正倉院宝物を探る』に出演して解説をしている姿が残っている[要出典]

著書

単著
共著
  • 『古代オリエント文明 世界の歴史 2』筑摩書房編集部編、筑摩書房 1960[18]
執筆「イラン人の悲劇:文字と表記法の場合」
イラン語表記の第一段階」〜「イラン語表記の第四段階」
執筆「ゾロアスター教の渡来:天武天皇挽歌2首を解読して」
共編著
執筆「16 後記」288頁[22]
執筆「祆教における善悪行の記帳について」255-頁.[25]
訳書
  • 『Une Apologetique Mazdeenne du lxe Siecle Skand-Gumanik Vicar-La Solution decisive des Doutes』(アジア・アフリカ文献調査報告 7) アジア・アフリカ文献調査委員会 1964[26]
(『20世紀ゾロアスター教擁護論:スカンド・グマニク・ヴィカール:疑いの決定的解決』)[27]
「アヴェスター」325-頁.
  • 『伊藤義教氏転写・翻訳「デーンカルド」』[32]3-1、青木健編、東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センター(東洋学研究情報センター叢刊 8) 2007[33][34]
  • 『伊藤義教氏転写・翻訳「デーンカルド」』3-2、青木健編、東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センター(東洋学研究情報センター叢刊 11) 2009[35]
雑誌論文
第25号(1980年)から第81号(1994年)まで11本寄稿
  • 朝日新聞社(編)「「ペルシア文化渡来考」への書評〔朝日ジャーナル5月2日号所載〕に答えて:榎一雄博士へ」『朝日ジャーナル』第22巻22 (通号1111 1980-05-30)、1980年5月、80-81 (コマ番号0041.jp2)、doi:10.11501/1725890 
  • 朝日新聞社(編)「再説「ゾロアスター教徒の来日」」『朝日ジャーナル』第22巻第37号 (通号1126 1980-09-19)、1980年9月、84- (コマ番号0043.jp2-)。 
  • 伊藤義教、松木明知「欽明朝に来日したイラン系の医師王有㥄陀について」『日本医史学雑誌』第28巻2 (通号1426)、日本医史学会、1982年4月。 

書簡

ライプツィヒ大学図書館ヨハネス・ヘルテル[37]文庫

参考文献

主な執筆者順。

  • 井本 英一(著)、日本オリエント学会(編)「伊藤義教著「古代ペルシアー碑文と文学-」」『オリエント』第18巻第1号、1975年8月、129-133頁、ISSN 0030-5219 掲載誌別題『Bulletin of the Society for Near Eastern Studies in Japan』
  • 上岡弘二「訃報 伊藤義教先生のご逝去を悼む」『西南アジア研究』第46巻、西南アジア研究会、1997年3月、70-71 (コマ番号0038.jp2)。 
  • 上岡弘二「伊藤義教博士の略歴と著作目録」『西南アジア研究』第48巻、西南アジア研究会、1998年3月、4-13頁。 
    • 小野山節「伊藤義教先生と『西南アジア研究』の編集」1-3頁 (コマ番号0004.jp2-)
  • 榎 一雄(著)、朝日新聞社(編)「歴史の顔をした作り話の横行--伊藤義教「ペルシア文化渡来考」(思想と潮流)」『朝日ジャーナル』第22巻18 (1980-05-02)、1980年5月、65-67頁、doi:10.11501/1725886国立国会図書館書誌ID:2129986 
  • 榎 一雄(著)、朝日新聞社(編)「「日本書紀」の吐火羅国と舎衛--伊藤義教「ペルシア文化渡来考」への再反論」『朝日ジャーナル』第22巻33 (1980-8-15/22)、1980年8月15日、43- (コマ番号0022.jp2-)、doi:10.11501/1725901 
  • 山本 由美子(著)、史学会(編)「伊藤義教著「ゾロアスター教」」『史学雑誌』第91巻第4号、1982年4月、511-517 (コマ番号0046.jp2-)、doi:10.11501/11199153ISSN 0018-2478 

脚注

  1. ^ 上岡 1997, p. 70-71
  2. ^ a b c 伊藤 義教 イトウ ギキョウ”. www.chikumashobo.co.jp. 筑摩書房. 2023年3月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 上岡 1998, pp. 4–13
  4. ^ CiNii(学位論文)
  5. ^ ちくま学芸文庫 原典訳 アヴェスター”. 紀伊國屋書店ウェブストア. 紀伊國屋書店. 2023年3月23日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 青木健「伊藤義教著『ゾロアスター教論集』平河出版社, 2001年10月」『オリエント』第45巻第1号、一般社団法人 日本オリエント学会、2002年、229-235頁、doi:10.5356/jorient.45.229 
  7. ^ a b 伊藤 1980a, pp. 80–81
  8. ^ a b 伊藤 1980b, pp. 84-
  9. ^ a b 榎 1980a, pp. 65–67
  10. ^ a b 榎 1980b, pp. 43-
  11. ^ doi:10.11501/12575372
  12. ^ 井本 1975, pp. 129–133
  13. ^ doi:10.11501/12273198
  14. ^ 岡田明憲解説
  15. ^ {NCID|BA51642847}}、ISBN 4480086366
  16. ^ doi:10.11501/12282225
  17. ^ ISBN 978-4892033155
  18. ^ doi:10.11501/3034700
  19. ^ NCID BN15921237ISBN 4479840397
  20. ^ 遺著。序を上岡弘二、岡田明憲解説
  21. ^ 杉本浩の追悼集。
  22. ^ NCID BA60309714doi:10.11501/1055408 (コマ番号0165.jp2)
  23. ^ NCID BN06642006ISBN 4165081205
  24. ^ NCID BN02448737ISBN 4486010019
  25. ^ doi:10.11501/1123214、(コマ番号0132.jp2-)
  26. ^ doi:10.11501/12183891
  27. ^ 9世紀ゾロアスター教の教義解説書。
  28. ^ doi:10.11501/12180178
  29. ^ doi:10.11501/1335965
  30. ^ doi:10.11501/12445554
  31. ^ ISBN 4480094601
  32. ^ 英題『A trancription and translation of the Dēnkard Book 3(1) from the posthumous papers of the late Prof. Dr. Gikyo Ito』
  33. ^ 全国書誌番号:21306790
  34. ^ パフラヴィー語併記
  35. ^ 全国書誌番号:21763574
  36. ^ doi:10.11501/2236866(コマ番号0006.jp2)
  37. ^ ヨハネス・ヘルテル(Johannes Hertel 1872-1955)。著作に『印度古譚集』ヘルテル 編、永井照徳 訳、大東出版社〈あかね叢書 ; 25〉、1939年(昭和14年)、国立国会図書館デジタルコレクション。2023年3月23日閲覧。
  38. ^ ※2=ヤン・リプカ(Jan Rypka 1886-1968)。中村公則が『オマル=ハイヤームとスーフィズム』でリプカに言及(1973年、doi:10.5356/jorient.16.2_119)。

関連項目

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