仁宣王后 張氏(じんせんおうこう・ちょうし/インソンワンフ・チャンシ、1619年2月9日 - 1674年3月19日)は、李氏朝鮮第17代王孝宗の王妃。第18代王顕宗の母。本貫は徳水張氏。新豊府院君・右議政張維の娘。
生涯
光海君11年12月25日(1619年2月9日)、張維の娘として生まれた。仁祖の次男である鳳林大君と嘉礼を上げ豊安郡夫人の爵号を受け、夫である鳳林大君と瀋陽で8年間の人質生活をして帰って来た。
仁祖23年(1645年)、昭顕世子が薨去すると、夫の鳳林大君は世子になり、それに伴い、張氏は世子嬪となった。仁祖27年(1649年)に仁祖が薨逝し、鳳林大君が孝宗として即位すると、張氏も王妃に冊封される。
孝宗10年(1659年)、孝宗が薨逝し、息子である顕宗が即位すると、王大妃となった。顕宗3年(1662年)、孝粛(ヒョスク)の尊号を受け、孝粛王大妃とされ、顕宗15年(1674年)に55歳で死去。
その後、荘烈王后の喪服期間を巡って、礼訟問題が起こった。陵は京畿道驪州市にある寧陵で、夫の孝宗と共に埋葬された。
家族
子女
登場作品