このことから、ウェブスター長官はデモンストレーションを計画した。まず、FBIの幹部職員を伴ってデルタフォースとSEALsチーム6の対テロ演習を見学したのち、FBI訓練部の特殊作戦・研究課(Special Operations and Research Staff, SOARS)の教官によって同様の演習を行った。軍の特殊部隊は持てる限りの武力を行使しており、裁判所に持ち込むには不都合な部分が多かったのに対し、SOARSのFBI捜査官は、戦闘技術はデルタフォースから教わっていたにもかかわらず、射撃は最低限に留めて武装したテロリストのみを排除しており、不必要な流血は回避されていた。その違いは一見して明らかであり、文民警察官による対テロ作戦部隊というコンセプトは受け入れられるようになった[6]。そしてFBIの対テロ作戦部隊として、1983年に創設されたのがHRTである[9]。
HRTへの応募には3年以上の現場勤務経験(FBI特別捜査官又は米軍特殊部隊等)と優秀な業績評価が必要となる。2週間の選抜課程は極めて過酷であり、例えば1991年の第8世代の選抜課程では、36名が応募し[16]、14名が合格、7名が採用された[17]。新隊員訓練所(New Operator Training School, NOTS)では、2週間にわたる拳銃射撃術を皮切りに、5ヶ月に渡る訓練を受ける[5](2013年の時点では32週間に延長されていた[18])。これに加えて、狙撃手は、アメリカ海兵隊の前哨狙撃兵訓練所で2ヶ月に渡る訓練を受ける[19]。またHRTでは、フランスのGIGNに倣って「人命を守るために」というモットーを導入しており、これにあわせて、専従の医療要員および救急車のほか、全隊員が80時間以上の本格的な医療訓練を受けている[20]。
1991年8月27日にアラバマ州タラデガ連邦刑務所で囚人による暴動が発生した。刑務官5人が人質となったため、事件発生から10日後、HRTは指揮官ディック・ロバーツの命令により突入、囚人を制圧し人質を救出した。この際には、1発の発砲もなされず、重傷者を出すこともなかった[5]。この功績により、ディック・ロバーツはBR1(Big Red One)として知られるようになった[14]。しかし1992年8月のアイダホ州ルビーリッジにおける白人至上主義・孤立主義者(ウィーバー一家)に対する法執行(ルビーリッジの悲劇)、また1993年4月のテキサス州ウェーコにおけるブランチ・ダビディアンに対する法執行(ウェーコの悲劇)において、BR1の作戦指揮に疑義が呈されたことから、まもなく更迭された[24]。