本作は、1889年の8月から11月にかけてボヘミアのヴィソカ(チェコ語版)にて作曲されているが、『第7番 ニ短調』(作品70, B. 141)以前の交響曲にはヨハネス・ブラームスの影響が強く見られ、また『第9番 ホ短調《新世界より》』(作品95, B. 178)では、アメリカ滞在のあいだに聴いた音楽から大きく影響を受けているため、本作は「チェコの作曲家」ドヴォルザークの最も重要な作品として位置づけることができる。ボヘミア的なのどかで明るい田園的な印象が特徴的で、知名度の点では第9番『新世界より』には及ばないものの、第7番などと同様に人気のある交響曲である。
ドヴォルザークは全ての作品をジムロック社から出版する契約を結んでいたが、ジムロック社は低い作曲料を上げようとせず、また小品ばかり要求し(本作の作曲の際も1000マルクしか支払おうとしなかった)、『交響的変奏曲 ハ長調』(作品78, B. 70)や『弦楽五重奏曲第2番 ト長調』(作品77, B. 49)、『交響曲第5番 ヘ長調』(作品76, B. 54)などでは、彼の意向を無視した作品番号を勝手に付与していたため、ドヴォルザークは契約を一方的に破棄して、イギリスのロンドンにあるノヴェロ社からこの作品を出版した。そのため、かつては『イギリス』という愛称で呼ばれることもあったが、音楽の内容はイギリスというよりもむしろチェコであり、近年は『イギリス』と呼ばれることはほとんど無くなった。