井沢 八郎(いざわ はちろう、本名:工藤 金一(くどう きんいち)、1937年〈昭和12年〉3月18日 - 2007年〈平成19年〉1月17日)は、日本の演歌歌手。青森県弘前市出身。女優の工藤夕貴と元俳優でクラブDJの工藤正貴は実子。2番目の妻は声優の青羽美代子。
青森県弘前市のひとかどの名家に出生、中学生の頃から歌唱力は評判だった。
中学卒業後、歌手を目指して上京。1963年に「男船」(作詞・松井由利夫、作曲・大沢浄二)で東芝音楽工業よりレコードデビューを果たし、同曲は30万枚を売り上げる[1]。デビュー第三弾の「あゝ上野駅」は井沢八郎の代表曲であると同時に、高度経済成長期の日本の世相を反映する代表曲となる。同曲は2003年、JR上野駅広小路口前にて、ファイティング原田や集団就職で上京した中小企業経営者らによる有志団体により、歌碑が竣工された。また2013年7月からは、JR上野駅13番線(2016年からは上野駅始発の常磐線特急ホームが使用する16・17番線)の発車メロディーに同曲が採用されている[2]。 他にも「男傘」「北海の満月」などのヒット曲がある。作曲家・大沢浄二が恩師である。
伸びやかでボリュームのあるハイトーンを特徴とする美声で、晩年はショーやテレビ番組などで活躍していた。私生活では料亭経営者の令嬢と結婚、長年連れ添い一男一女(夕貴・正貴)を授かった。世田谷の邸宅にて暮らし、自宅は度々テレビ番組にて披露され、周囲から羨望の目を集めた。しかし、八郎は家を空けることが多く、帰宅しても酒を呑むと豹変し、夕貴らに激しく絡んでいた[3]。
1980年、妻との関係が悪化し、妻を自宅から追い出す。1983年に交通違反の不出頭、1985年にデートクラブで16歳の女性を買春しての淫行[4]といった不祥事を起こす。さらに隠し子の存在が明らかになる。これらのスキャンダルのため、一時、芸能活動ができなくなった上、婚姻関係が1989年に破綻。その後交際をしていた青羽美代子と1994年再婚し、亡くなるまで連れ添った。
2005年秋頃、体調不良を訴え検査の結果食道癌が見つかり手術を受けるが、翌年5月には癌がリンパ節に転移。同年秋に再入院し、治療に努めた。
2007年1月17日午後11時18分、食道癌のため自身の転機の地でもある上野の永寿総合病院にて死去。69歳没(享年70歳)。1月17日は奇しくも娘・工藤夕貴の誕生日であった。臨終の間際にて、八郎は夕貴に枯れた声を振り絞り、「お誕生日おめでとう」と伝えたという。また、死後八郎から夕貴に宛てられた一通の手紙には、八郎が夕貴の舞台を観た感想が綴られており、一家離散後も、八郎が夕貴の活躍を陰ながら支えていたことがわかった[3]。
発売当時の東芝レコード月報(各月)に基づく。
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