中野 次雄(なかの つぎお、明治43年(1910年)6月27日 - 平成11年(1999年)10月13日[1])は、日本の裁判官。元大阪高等裁判所長官[2]。父は東京府会議長をつとめた中野勇治郎。
東京市本所区東両国出身[3]。
1933年11月高等試験司法科及行政科合格[3]。1934年3月東京帝国大学法学部卒業[3]。同年6月司法官試補 東京地方裁判所詰[3]。1935年判事に任官[4]。
1957年~1964年司法研修所教官[2]。1966年~1968年最高裁判所調査官(上席)[2]。1968年前橋地方・家庭裁判所所長[2]。1970年東京高等裁判所判事[2]。1973年大阪高等裁判所長官、1975年定年退官[2]。1976年~1981年早稲田大学客員教授[2]。1980年、勲一等瑞宝章受章[1]。1984年~1989年北海学園大学法学部教授[2]。1999年、急性腎不全のため逝去[2][1]。
趣味は読書[4]。宗教は日蓮宗[4]。住所は東京都杉並区[4]。
野村二郎に「刑事裁判官の指導的役割を果たした」と評されている[5]。
この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。