中野 晶(なかの あき、1962年11月10日 - )は、東京都渋谷区出身の日本の女子プロゴルファー。
経歴
18歳からゴルフを始める。学習院大学卒業。1987年プロテスト合格、日本女子プロゴルフ協会入会。1989年までは賞金ランキング50位以下が続いた。
1990年はヤマハカップレディスオープンで5位タイと初のトップ10入り。スタンレーレディスゴルフトーナメント で3位など活躍し、賞金ランク25位で初のシード権獲得。
1991年はミヤギテレビ杯女子オープンゴルフトーナメントで通算1アンダー、2位・松澤知加子に2打差でツアー初優勝。宝インビテーショナルでは通算6オーバーながら森口祐子と自身初のプレーオフに臨み敗れた。賞金ランク14位で2年連続シード権。
1992年は伊藤園レディスゴルフトーナメントで通算7アンダー、2位・岡本綾子、柴田規久子に2打差で優勝。JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦4アンダーで2位・服部道子に2打差で公式戦初優勝。賞金ランク11位で3年連続シード権。
1993年、1994年は優勝こそないもののシード権は獲得。
1995年は東洋水産レディス北海道で通算6アンダーと2位・大城あかね、安井純子、平瀬真由美、三橋里衣に3打差をつけて優勝。フジサンケイレディスクラシックでは安井とのプレーオフに敗れた。賞金ランクは初の一桁、8位。
1996年は那須小川レディスプロゴルフトーナメントで通算イーブンパー、2位・橋本愛子に3打差で優勝。賞金ランク18位。1997年は優勝がなく、賞金ランク41位と奮わず。
1998年は住友VISA太平洋クラブレディースで通算8アンダー、2位・不動裕理に3打差で優勝。賞金ランク16位。
1999年はゴルフ5レディスプロゴルフトーナメントで通算3アンダー、2位・藤井かすみに2打差で優勝。伊藤園レディスでは不動に1打届かず2位。賞金ランク6位。
2000年はWe Love KOBE サントリーレディスオープンゴルフトーナメントで通算16アンダー、2位・井上真由美、久保樹乃に5打差をつけて初の4日間大会優勝。 日本女子プロゴルフ選手権大会では高村亜紀・小野香子・米山みどり・天沼知恵子との5人プレーオフにもつれ込み、高村が優勝。LPGAツアーチャンピオンシップでは通算6アンダーで高又順(英語版)・高村とのプレーオフの末、雪辱を果たし公式戦2度目の優勝。賞金獲得額7,362万円余で自己最高。賞金ランクも最高の2位。
2001年、2002年は優勝なし。2003年、ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントでは2日目終了時25位タイから最終日自己最高スコア63を記録。首位不動と並んだがプレーオフに沈んだ。賞金ランク22位。
2004年以降は優勝なく、賞金ランク50位外が続いた。
2008年、レジェンズツアーで優勝[1]。
その後は公式戦などのコースセッティングを担当[2]。
人物・逸話
- プレーオフは5戦して1勝4敗。他の優勝8回も1打差はなく競り合いに弱かった。
- コースセッティング担当としては「選手から『疲れた。18ホール回って、脳みそ疲れちゃった』という言葉を引き出したい」と発言し、挑戦的な姿勢である[2]。
成績
JLPGAツアー優勝 (9)
※太字は公式戦
表彰
- LPGA敢闘賞 (2000年)
- バーディー数1位 (1995年, 1999年)
脚注
出典
関連項目
外部リンク
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1979-89年まではレディーボーデンカップ、90-99年までは明治乳業カップ |