中島 そのみ(なかじま そのみ、1936年1月2日[1] - 2023年2月26日[要出典])は、日本の歌手、女優。長野県小県郡丸子町(現・上田市)出身。本名:近藤宏子(旧姓:岩下)。夫はテレビプロデューサーの近藤洲弘。
1954年、長野県丸子実業高等学校(現在の長野県丸子修学館高等学校)を卒業。兄を頼って上京し、ドレスメーカー女学院に入学。ジャズ喫茶に出入りするうちに、ウエスタン歌手に転向し、チャック・ワゴン・ボーイズに加入。その個性的な声色と唱法により頭角を表す。
1956年1月、小坂一也の紹介で日本コロムビアから『テキサスの恋唄』でソロ・デビュー。小坂一也とワゴン・マスターズやスイング・ウエストと共演。1958年2月、第1回日劇ウエスタンカーニバルに出演する頃には、人気歌手となっていた。代表曲に『フラフープソング』などがある。
1958年6月、日活の舞台に出演した縁で日活映画『大阪娘と野郎ども』で映画デビュー。1959年には、東宝に入社。多くの映画に出演し、団令子・重山規子とのトリオ(お姐ちゃんトリオ)でよく出演していた。
1963年4月にNETのディレクター近藤洲弘と結婚、1964年1月公開の映画「社長紳士録」を最後に芸能界を引退していたが、『ちびっこ怪獣ヤダモン』ではアニメ制作会社ピー・プロダクションの社長であるうしおそうじから直接中島に「声の出演をしてもらいたい」との説得を受け、出演するに至った経緯がある[2]。
「トサカにくる」という俗語は、中島が映画「お姐ちゃんシリーズ」で使ったことで流行した[3]。
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