中尾 康二(なかお こうじ、1981年9月8日 - )は、鹿児島県肝属郡出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダーで、主に右サイドとボランチを務める。
四日市中央工業高校での活躍を評価され、2000年にJ2コンサドーレ札幌に入団。2001年にチームはJ1昇格を果たすが、中尾自身はトップチームでの出場機会が中々巡って来なかったため、同年11月から翌2002年1月までポルトゥゲーザに留学、さらに2002年8月には半ば武者修行という形でJ2横浜FCにレンタル移籍した[1]。半年のレンタル期間を経て、コンサドーレ札幌に復帰すると徐々に出場機会を掴み始め、2004年には、背番号10番を与えられるなどフロントからも期待されていた。
しかし、2004年8月に同世代のチームメイト新居辰基が酒気帯び運転で人身事故を起こすという不祥事が発生。この際、中尾は事故直前まで車で新居と同行しており、新居が飲酒していたことを知っていた。このため、酒気帯び運転を制止しなかったという責任を問われ、新居とともにチームを解雇されるに至った。
その後東海社会人リーグ1部・静岡FCを経て、2006年からは同じく東海1部リーグのFC岐阜に所属。同クラブのJFL昇格、J2昇格に貢献したが2007年シーズン終了後、契約満了による退団が発表された。2008年からは静岡県1部リーグ・アスルクラロ沼津に加入。選手として活躍する傍ら、同クラブのジュニアキッズスクールスタッフも務めていた。
2010年度限りで選手として引退し、現在はスタッフに専念している。