中央町(ちゅうおうまち)は、秋田県横手市の町。郵便番号は013-0023[2]。人口は157人、世帯数は72世帯(2020年10月1日現在)[1]。
地理
横手地域の中央部に位置し、東で四日町、西で大水戸町・平城町、南で田中町と隣接する。
町の北端は横手川が流れ、南端は南堰が西に流れる。東部はかつて寺町と呼ばれた地域で、西誓寺・法泉寺・円浄寺・光専寺・正法寺・明光寺などが所在する。また、通称「馬口労町通り」と呼ばれる通りは飲食店街が形成されており、市内を代表する歓楽街となっている[5]。
町の南部には「富士見大通り」と呼ばれる幹線道路が通っており[6]、この道路沿いには横手市役所本庁舎が所在するなど、市の政治経済の中心となっている。毎年2月に行われる横手のかまくらでは主会場となっており、かまくらに入る体験が年中可能な「横手市ふれあいセンター『かまくら館』」が市役所本庁舎に隣接して所在する[7]。
歴史
横手川右岸の朝倉山(通称・お城山)に位置した横手城の城下町として栄えた地域で、現在も横手市の中心市街地の一角を成している。現在の中央町は横手川の左岸、商人や職人が住む「外町」に当たる地域で、江戸時代頃から城下町として形成されていった。
現在の中央町は1966年4月1日に実施された住居表示によって発足したもので、それ以前は睦成字町尻の一部、横手町字柳町・同字寺町・同字馬口労町であった。柳町は、四日町の西裏に当たる後町(寺町)通りに続く道と、馬口労町通りの北に続く道に沿った町であった。また、馬口労町は裏町とも併称され、後町の西側、田中町の北側に位置した。大字としては1874年(明治7年)に柳町・馬口労町・大水戸町・田中町が合併して横手町大字横手町となり、小字として旧町名が継承されている。後町は寺町とも呼ばれ、四日町の西裏にあたり、南端では二の堰で田中町と境をなしていた。
モータリゼーションの時代が到来すると、城下町特有の狭く曲がり角が多い横手の道路は車の通行に不便であったため、1937年(昭和12年)に決定した都市計画により、各地で土地区画整理事業が行われることになった。また、市内を一周する横手環状線の整備も進められ、1991年(平成3年)に奥羽本線を跨ぐ跨線橋(富士見大橋)とその地下道の工事に着工した。また中央町を通る幅員4.5メートルの「上辻貫通り」を16メートルまで拡幅するのも難工事であり、最も工費のかかる区間であった。富士見大橋は1994年(平成6年)に開通した。
また、この土地区画整理事業に並行する形で市役所庁舎の移転も行われ、大町の横手川沿いに位置していた庁舎が1989年(平成元年)3月にこの中央町へ移転してきた[6]。
土地区画整理事業が行われる以前に町内を流れていた二の堰(現在は暗渠)には「きみまち橋」と呼ばれるコンクリート製の橋がかかっており、遊廓や飲食店がある歓楽街につながる橋であることから別名「親不孝橋」とも呼ばれた。橋は1955年(昭和30年)に完成したもので、この橋がかつてあった現在のかまくら館前には、欄干のモニュメントが1995年(平成7年)に設置されている[5]。
住居表示
住居表示に関する法律が施行された1962年5月10日以降、旧横手市内においても住居表示が進み、1965年より第一次から第五次にかけて実施された。先述の通り、本地域は1966年4月1日に実施され、現行の中央町はここで誕生した。
実施後
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実施年月日
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実施前
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備考
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中央町
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昭和41年4月1日
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睦成字町尻(一部) むつなり あざ まちじり
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横手町字柳町 よこてまち あざ やなぎまち
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横手町字寺町 よこてまち あざ てらまち
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横手町字馬口労町 よこてまち あざ ばくろうまち
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世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の推移
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[24]。
交通
鉄道
町内に駅はない。最寄り駅は駅前町にあるJR東日本奥羽本線・北上線の横手駅。
バス
- 羽後交通
道路
施設
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横手市役所本庁舎
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横手市役所本庁舎とかまくら館
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きみまち橋の遺構
脚注
注釈
出典
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典5 秋田県』角川書店、1980年。
- 平凡社 編『秋田県の地名 日本歴史地名大系5』平凡社、1980年。
- 横手市史編さん委員会『横手市史 昭和編』横手市、1981年。
- 横手市 編『横手市史 通史編 近世』横手市、2010年。
- 横手市 編『横手市史 通史編 近現代』横手市、2011年。
外部リンク