中井 義樹(なかい よしき、1983年1月4日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手。ポジションはMF。
中学生時代は元ガンバ大阪の二川孝広も所属した高槻市の高槻FCに所属。二川選手は2学年上。C大阪ユース生え抜きの選手で当時U-19日本代表にも選ばれた事もある。2001年にトップチームに昇格するもなかなか出番には恵まれなかった。
2006年に草津に移籍すると、開幕戦からレギュラーとして中盤を支えた。 しかし、警告の多さ(2006年シーズンのは警告は12枚)や不安定なプレーなどがあり、秋以降は徳島より期限付き移籍してきた秋葉忠宏にポジションを奪われるが、後に奪い返し、トリプルボランチの一角として、攻守に貢献した。
2007年に佐川印刷SCに完全移籍。2011年に長崎に完全移籍。2012年シーズン終了後に契約非更新で長崎を退団[1]。 2013年、古巣クラブである佐川印刷SCに復帰[2]。
2015年をもってSP京都がJFLから脱会となり、2016年3月に活動停止が明らかになり、京都新聞の報道で所属未定者5人は社業専念で中井はそのうちの1人となり事実上引退となった[3]。
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