世界最強タッグ決定リーグ戦(せかいさいきょうタッグけっていリーグせん、英:The Real World Tag team League)は、日本のプロレス団体、全日本プロレスが開催するタッグマッチの総当たりリーグ戦。1978年12月より「世界最強のタッグチームを決定する」と銘打って開催されている。
「年末のプロレス興行は当たらない」、「タッグ・リーグは成功しない」という旧来の日本プロレス界におけるジンクスが[1]、1977年12月に行われた『世界オープンタッグ選手権』の成功で払拭されたことにより、翌1978年より『世界最強タッグ決定リーグ戦』の名称で毎年開催。以降、年末における全日本プロレスの看板シリーズとして行われている[1][2]。
豪華な外国人選手が参加していた昭和期においては、特別試合として組まれる夢のシングルマッチもファンの楽しみの1つであった。また、プロレス界において同一名称で行われるイベントシリーズとしては日本最長を誇り、今なお更新中である(同じ全日本プロレスのチャンピオン・カーニバルは1973年から開催されているが、途中「グランド・チャンピオン・カーニバル」などのリーグ戦を開催しないシリーズとして実施していた期間があるため、世界最強タッグ決定リーグ戦のほうが同一名称のイベントとしては長い)。
[6]
入場式・開幕戦は11月13日、優勝戦は12月7日後楽園で開催。その他北上・那須町・藤沢でも開催。Jr. BATTLE OF GLORYと同時開催。大日本の野村とタッグを組んだ宮原は個人では3連覇を達成し、野村は初優勝。
入場式・開幕戦は11月12日、優勝戦は12月6日後楽園で開催。前年同様Jr. BATTLE OF GLORYと同時開催。
入場式・開幕戦は11月9日、優勝戦は12月8日昼後楽園で開催。8年ぶりに2ブロック制で行う。決勝トーナメントはAブロック1位の斉藤ブラザーズとBブロック2位の本田&綾部、Bブロック1位の宮原&スミスJr.とAブロック2位のHAYATO&安齊による準決勝が行われ、それぞれ勝利した斉藤ブラザーズと宮原&スミスJr.が対戦。結果、斉藤ブラザーズが激戦を制し、史上初の「世界タッグ王者による全勝優勝」を成し遂げた。
Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!