上條 恒彦(かみじょう つねひこ、1940年〈昭和15年〉3月7日[2] - )は、日本の歌手、俳優、声優。長野県東筑摩郡[2]朝日村[1]出身。本名同じ[2]。ケイセブン中村屋所属[2]。身長176cm、体重75kg。
長野県東筑摩郡朝日村生まれ。朝日村立朝日中学校(現:松本市山形村朝日村中学校組合立鉢盛中学校)を経て長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業後、1958年4月に上京。大森の雑貨品問屋の住み込み店員を手始めに、新聞配達、サンドイッチマン、うたごえ喫茶の歌手など約15種類の職業を経験する。1964年3月、初めて労音で勤務し、のちに歌手としてデビューするきっかけとなる。
1968年に結婚。その後長男の恒(俳優)、次男をもうける。1979年ごろ離婚し、2人の子どもは上條が引き取る。1983年、付き人であった女優で16歳年下の悦子と再婚、4人の男児をもうける。末子・駿は俳優[3]。
1970年1月10日に放送が始まったNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』の準レギュラー出演者となり、レギュラー出演者のグループであるヤング101のお兄さん格の扱いを受けた[4][注 1]。1971年、グループ「六文銭」と共演した『出発の歌(たびだちのうた)』で、三重県合歓の郷で開催された「ポピュラーソング・フェステバル'71」のグランプリを受賞[5]。次いで11月、第2回世界歌謡祭でグランプリ・歌唱賞を受賞[6]。翌1972年には、第23回NHK紅白歌合戦に初出場する[注 2]。また、フジテレビ系列の時代劇『木枯し紋次郎』の主題歌『だれかが風の中で』を歌い、ヒットさせる。9月には「日本歌謡祭」で『橋』が入賞。1973年2月には、沖縄海洋博の歌『珊瑚礁に何を見た』を制作する。同年、『さよならの世界』で第4回世界歌謡祭の歌唱グランプリを受賞。
俳優としても活動し、『3年B組金八先生』の社会教師・服部肇役で有名。
丸大食品のウインナー、フランクフルト商品のCMソングを1980年代に担当していた。
1985年には鳥取県で開催された「わかとり国体」では、大会テーマ曲の『スピリッツ』を秋季大会開会式で歌った。
現在は、長野県諏訪郡富士見町、八ヶ岳山麓に居住。妻の著書『八ヶ岳山麓 上條さんちのこどもごはん』(ISBN 978-4784072644、信濃毎日新聞社、2015年)に生活の様子が記されている。 アトリエ・ダンカンとの契約満了にともない、2013年5月1日よりケイセブン中村屋に所属。
▲はラジオのみの再放送、△は『特集みんなのうた』での再放送。
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