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三脚巴紋をあしらったマン島の盾型紋章
マン島の旗 にある鎧われた三脚巴
シチリア州の三脚巴
三脚巴 (さんきゃくともえ)は、伝統的な文様 のひとつ。三脚巴紋 (さんきゃくともえもん)、あるいはトリスケリオン (triskelion、τρισκέλιον )、トリスケル (triskele、τρισκελής )とも呼ばれる。3つの渦巻きの組合せか、膝を直角に曲げた足を3本、それぞれ120度の角度で、脚の付け根を中心とした風車状に組み合わせたもの(3回対称の回転対称 図形)。
三脚巴はフランス ・ブルターニュ のシンボルであり同様にマン島 とシチリア のシンボルでもある(ブルターニュ半島ではトリスケリオン 、マン島とシチリアではトリスケル と呼ぶ)。マン島とシチリアの三脚巴は結合部から枝分かれして膝を曲げた三つの走る脚で形作られている。三脚巴の螺旋形状はしばしば太陽紋 に分類される[要出典 ] 。また、シチリアの三脚巴の中心主軸部が時にゴルゴン マスクかメデューサ ヘッドで脚が付く形状ではクトニオス (chthonic、冥府の神)の意味を示唆する[要出典 ] 。
起源
三脚巴紋はミケーネ文明 の容器、リュキア 地域の鋳造硬貨、パンフィリア 地域のスタテル (古代ギリシア銀貨)(アスペンドス 、紀元前370年 - 紀元前330年)そしてピシディア など多くの古代文化で見られる[要出典 ] 。四つ脚が結合したシンボル卍 (テトラスケリオン、tetraskelion)は同様にアナトリア半島 で知られている。ガリア 地域に集約されたアナトリア半島のケルト人 勢力は、ガラティア 地域に侵攻して住み着き三脚巴のケルト起源の分析によって特に有名になった[要出典 ] 。
マン島の三脚巴
マン島の旗 。三脚巴の意匠となっている。
マン島にある三脚巴をあしらった車のナンバープレート
マン島のシンボルはアイリッシュ海 で見られ、三脚巴紋の「弓状に曲げた三つ脚」は鎧われて拍車 と装飾(金)が施された形で描かれている。
マン島の紙幣にある三脚巴紋は縁取りの中にラテン語 でマン島のモットーである「投ぐればいずくにでも、立たん 」(QUOCUNQUE JECERIS STABIT )と共に銘刻されて描かれている。マン島の三脚巴で古いものは13世紀か14世紀のものから記録され、三脚巴はマン島語で「tre cassyn 」(三つ脚)で知られる。紋章は1226年 にサドレイス (南ヘブリディーズ諸島 とマン島)の王になったマン島のオラフ2世 に服属した古代マン島の国家の剣 にも見て取れる。
紋章学 では左回りに曲げるか跪く型は攻撃性を表すと言われていると共に右回りに膝を付く動きが正式なシンボルである。(卍 参照)[要出典 ] しかし多くのマン島教会とラクシーの街にあるレディー・イサベラ (水車)では左回りのものが見られる。
シチリアの三脚巴
シチリア の旗。紀元前のギリシア植民地時代以来のシンボル
シチリアの古いシンボルとして有名な三脚巴(トリナクリア )は、同様にアガソクレス (紀元前317年 - 289年)の硬貨でシラクサ の街のギリシア 硬貨としても特色をなした[1] 。シチリアで歴史的に初とされる住民はシカニ族 (ギリシアのシカノイ)とシケル族 (ギリシアのシケロイ)で、彼らはシチリアにより現代的な名前を与えられた。三脚巴はナポレオン時代 にナポリ王(両シチリア王 を称した)ジョゼフ・ボナパルト やジョアシャン・ミュラ の紋章で復興した。
三脚巴をシンボルにする以前のシチリアはエーゲ海 を越えたギリシャの植民地領マグナ・グラエキア の一部だった。ガイウス・プリニウス・セクンドゥス は古代トリナクリア 島の各地点の先端が互いに等距離にある三つの主要な頂点の街メッシーナ 、パキーノ 、マルサーラ で島に形作る三角形 がシチリアの三脚巴の起源と考えた。三脚巴の三つ脚は同様にギリシア神話 の神ヘーパイストス の三脚器を連想させる。
叙事詩イリアス は、述べている。
「
この時期、ヘーパイストスは思い描く広間にあわせた三脚器を作り終えるまで労働に汗し息せききって多忙を極めた。その三脚器の各脚にヘーパイストスは金の車輪を付けていて、魔法の三脚器は神の集会や家に帰る時などに他の助けを借りることなく向かい皆を驚嘆させていたかもしれない。
」
渦巻き型三脚巴
ケルトの渦巻き型三脚巴
三つの渦巻きを結合させたケルト シンボルは三脚巴の裏に横たわる観念と似通った三つの意味という意味を持つ。三つの渦巻きの基調は西ヨーロッパ の新石器時代 シンボルでアイルランド ・ミース地方 の先史時代 ニューグレンジ 遺跡の正面玄関近くにある菱形の石に刻まれていた。シンボルの変種は同様に羨道墳 内部の部屋の内壁に刻まれたものが見られる。それはケルト人協会のため、同様に(アーミン (Ermine)と並ぶ)ブルターニュ半島のシンボルとして使用された。
スペイン の北部の三脚巴はガリシア州 とアストゥリアス州 の民族主義 者のシンボルとして使用された。また、カンタブリア州 でラバルム と呼ばれる類似シンボルは隣接するバスク人 文化 にある四つに枝分かれした紋章ラウブル (lauburu)と同質のものと考える事が出来る。
ゲルマン人の北欧神話 の同系シンボルはヴァルクヌト (valknut)とケルト芸術とゲルマン人のトリクェトラ (triquetra)の可能性もある。
ナチス・ドイツ
ナチス・ドイツ はベルギー 志願兵 の組織する武装親衛隊 第27SS義勇擲弾兵師団 の記章 に三脚巴の変種を採用した。ことによるとでっち上げかもしれないが、卍に類似したものは第二次大戦 中、マン島に抑留された幾人かのユダヤ人 難民 達に混乱や苦悩を引き起こしたとされた[要出典 ] 。
現代の用途
ケルト復興主義者によって、また時折キリスト教徒の三脚巴紋として使用されるケルト芸術に見られる渦巻き型三脚巴
デンマーク ・ヴァイキング時代 の三つの角杯 を連結させて描かれたスノルデレブ・ストーン (角状三脚巴)
ユダヤ教再建主義と新異教主義
三脚巴は通常渦巻きで成り立っている。しかし同様に「角状三脚巴」は、いくつかの多神教信者によるユダヤ教再建主義 と新異教主義 によって使用された。例えばケルトシンボルのようなものが北欧神話の最初の一群に見られる。そしてしばしば、より少ない数で同様にいくつかのゲルマン新異教主義 グループ、もしくは折衷主義 者かネオペイガニズム (多神教 復興運動)のような統合伝承によってケルトシンボルが使用されることが見受けられる。渦巻き型三脚巴はケルト復興主義ペイガニズム の主要シンボルの一つでもある[2] 。
ケルト復興主義者たちは彼らの宇宙論 と神学 の中に三つ組み種の象徴的シンボルとして使われている。それは同様にマナナン・マクリル 神の恩恵が与えられるシンボルとして好まれている[2] 。
ウイッカ は自然と時に美学的見地、特にケルトシンボルなどの多様な文化からシンボルを採用した。北欧神話由来でないシンボルはゲルマン新異教主義グループの間で通常より劣るものとして使用された。ヴァルクヌト(valknut )、トリクェトラ(triquetra )、もしくはスノルデレブ・ストーン(Snoldelev Stone )に見られるシンボルなど三つの類似シンボルはノルウェー シンボルでもあり混沌か恩恵を与えるものとしてゲルマン民族に使用された。
BDSM
三脚巴の形状はいくつかのBDSM グループによってBDSMのエンブレムに提案され、小説O嬢の物語 の骨子の一部で描かれた。特有のエンブレムデザインはデザイン内に金属のスポーク と円と三つの穴を意味する物が見える。
政治的グループ
白人至上主義論者グループアフリカーナー抵抗運動 (AWB)の旗
南アフリカ の白人至上主義 論者グループアフリカーナー抵抗運動 (AWB)は白い円に赤い背景でぼんやりと三脚巴を連想させる黒い7の形の組合せで成る旗を使用した。この旗の意味するところは、7を意味ありげに聖書から選び出し1973年 7月7日 に作られナチスの鉤十字に類似させた悪意(赤い背景に白い円で黒いシンボルは総合的にナチスの旗に似るようにしている)がある。
その他の用途
各地の三脚巴
ウィキメディア・コモンズには、
三脚巴 に関連するメディアがあります。
脚注
関連項目
外部リンク