三田 華子(みた はなこ、本名:三ツ田 ハナ子、1900年(明治33年)5月15日 - 1983年(昭和58年)10月13日)は、徳島県徳島市出身の小説家。
徳島の民話や伝説に取材した郷土色豊かな作品を残しており、その功績が認められ1977年に第3回徳島県文化賞を受賞。
1900年5月15日、徳島県徳島市古物町(現・南新町)に生まれる。1916年11月、三ツ田富蔵と結婚する。1932年、新聞社募集の民謡に『阿波小唄』が一等に入選する[1]。
1935年、一家で上京する。1939年、日本大学文学部芸術科に入学する。在学中、1年生の時に『二つの公休日』が文芸推薦候補となり、2年生の時に『石切場』が芥川賞候補となり、3年生の時に『祖父』が文芸推薦賞となる[2]。
1943年、夫・富蔵と死別する。1944年、徳島に疎開する[2]。
1948年、日本大学芸術学部から創作科の講師として招聘され、再び上京する[3]。
1983年10月13日、死去。享年83歳[4]。
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