三宅貞祥

三宅 貞祥みやけ さだよし
生誕 1908年3月23日
日本香川県小豆島
死没 (1998-09-30) 1998年9月30日(90歳没)
日本・福岡県久留米市
研究分野 動物分類学生物海洋学
研究機関 九州大学-九州産業大学
出身校 第六高等学校-九州帝国大学
主な業績 十脚目の分類
主な受賞歴 九州大学名誉教授、日本甲殻類学会会長
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

三宅 貞祥(みやけ さだよし : 1908年明治41年)3月23日 - 1998年平成10年)9月30日)は、昭和平成期の日本動物学者農学博士十脚目、特に異尾類の分類で功績を残した。九州大学名誉教授、日本甲殻類学会会長。

日本甲殻類学会設立時のメンバーの一人であり会長も務めるなど、甲殻類研究の発展に寄与した[1][2][3][4][5]

生涯

1908年(明治41年)3月23日、香川県小豆島に生まれ、1920年大正9年)に岡山県へ移った。1931年(昭和6年)に岡山市旧制第六高等学校を卒業し[6]九州帝国大学(現 : 九州大学農学部に入学した。指導教官の大島広棘皮動物研究者であったが、三宅の最初の論文はカクレガニ幼生についてのものであった。また大島の八重山諸島での調査にも同行した。後に三宅が記載したアカホシカニダマシ Neopetrolisthes ohshimai Miyake, 1937 は、師の大島に対する献名がなされている[1][2][3][5]

1935年(昭和10年)に九州帝国大学を卒業後は無給副手に着任した。1938年(昭和13年)にはパラオ熱帯生物学研究所に赴き、半年間サンゴ礁の動物について研究を積んだ(当時のパラオは日本の委任統治下にあった)。この時期に収集した標本が後の「三宅コレクション」の基礎となる。1941年(昭和16年)に助手、1947年(昭和22年)2月、九州帝国大学より農学博士の学位を取得、学位論文の題は「日本及びその近海に産する異尾類の研究 」[7]

1949年(昭和24年)に助教授となり、翌1950年(昭和25年)からは昭和天皇への御進講も務めた。1961年(昭和36年)に教授となった[1][2]

この頃、三宅の他に酒井恒久保伊津男らも甲殻類研究を行っていた。さらに小田原利光による『小田原甲殻類博物館』開館、昭和天皇の還暦を記念して大英博物館甲殻類部長イザベラ・ゴルドンが招聘され昭和天皇との会談、講演、採集を行うなど、日本における甲殻類研究が盛り上がりを見せていた。三宅が教授になった1961年(昭和36年)4月7日、小田原甲殻類博物館でゴルドンと日本の研究者13人が集まり「日本甲殻類学会」が発足した(初代会長は酒井恒[2][8]

1972年(昭和47年)に九州大学退官後は九州産業大学教授に着任し、1981年(昭和56年)まで務めた。1978年(昭和53年)には昭和天皇が相模湾で採集した標本を三宅が取りまとめた『相模湾産甲殻異尾類』が出版された。また九州産業大学退職後の1982年(昭和57年)には三宅が執筆した『原色日本大型甲殻類図鑑 I』(エビヤドカリシャコ)、翌1983年(昭和58年)には『原色日本大型甲殻類図鑑 II』(カニ)が出版された[1][5]

1986年(昭和62年)からは自身が設立に関わった日本甲殻類学会の第2代会長に就任した。1998年(平成10年)9月30日、肺炎のため福岡県久留米市の病院で死去したが、その寸前まで甲殻類研究の発展に尽くした。享年90[1][3]

功績

甲殻類研究の中では十脚類、特に異尾類の分類・研究で功績を残した。三宅によって記載された新種は102種、さらに三宅によって設定された新属も7属ある[3][4]

九州大学教授時代の三宅は、嶺井久勝(1961年より助手)とともに大学院生9名を指導した。当時は甲殻類を研究する大学院は九州大学のみであった。三宅の指導を受けた院生は酒井勝司(のち四国大学)、馬場敬次(のち熊本大学)、三矢泰彦(のち長崎大学)、林健一(のち水産大学校)、仲宗根幸男(のち琉球大学)、橋口義久武田正倫(のち国立科学博物館)、藤野隆博(九州大学)、Yu,S.P. であり[2]、いずれも20世紀後半から21世紀初頭にかけて甲殻類研究で実績を重ねている。

甲殻類の中には、三宅の功績を記念した献名がなされたものも多い[5][9]

  • ミヤケイバラモエビ(モエビ科Lebbeus miyakei Hayashi, 1992
  • ブドウエビ(タラバエビ科Pandalopsis miyakei Hayashi, 1986
  • アナジャコ属の一種 Upogebia miyakei Sakai, 1967
  • ホンドオニヤドカリ(ヤドカリ科Aniculus miyakei Forest, 1984
  • タンカクヒメヨコバサミ(ヤドカリ科) Paguristes miyakei Forest et McLaughlin, 1998
  • アワツブホンヤドカリ(ホンヤドカリ科Pagurus miyakei Baba, 1986
  • コシオリエビ科の属 Sadayoshia Baba, 1969
  • Sadayoshia属の一種 Sadayoshia miyakei Baba, 1969

また、三宅が収集・研究した標本類「三宅コレクション」は北九州市立自然史博物館に収蔵され、北九州市立いのちのたび博物館に引き継がれている[2][5]

著書

論文

脚注

  1. ^ a b c d e Keiji Baba"OBITUARY : Sadayoshi Miyake (1908-1998)" Crustacean research (27), 150-159, 1998-12 日本甲殻類学会
  2. ^ a b c d e f 馬場敬次『三宅スクールと分類学』 -日本甲殻類学会第48回大会シンポジウム『甲殻類研究の歩み』 2010年
  3. ^ a b c d 林健一『三宅貞祥先生のご逝去を悼む』-1999年『タクサ』No.6 1-2,1999-02-15 日本動物分類学会
  4. ^ a b 内海冨士夫・西村三郎・鈴木克美『エコロン自然シリーズ 海岸動物』ISBN 4586321059 1971年発行・1996年改訂版 保育社
  5. ^ a b c d e 三宅貞祥『原色日本大型甲殻類図鑑 I』ISBN 4-586-30062-0、1982年、保育社。 / 『原色日本大型甲殻類図鑑 II』ISBN 4-586-30063-9、1983年、保育社。
  6. ^ 『第六高等学校一覧 自昭和8年至昭和9年』第六高等学校、1933年6月、p.302、第29回卒業生(昭和6年3月13日卒業)
  7. ^ 博士論文書誌データベース:NAID 500000493930
  8. ^ 村岡健作『日本甲殻類学会の設立時を顧みる』-日本甲殻類学会第48回大会シンポジウム『甲殻類研究の歩み』 2010年
  9. ^ WoRMS - World Register of Marine Species - Paguristes miyakei Forest & McLaughlin, 1998
先代
酒井恒
日本甲殻類学会会長
1986年 - 1998年
次代
鈴木博

Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!