三上 智恵(みかみ ちえ、1964年 〈昭和39年〉8月13日 - )は、日本のジャーナリスト、映画監督、ドキュメンタリー映像作家。毎日放送(MBS)ならびに琉球朝日放送(QAB)の元アナウンサー。
フリーランスの映像作家として「沖縄と戦争」を主なテーマに、ジャーナリズム活動(沖縄戦や米軍基地問題など)を展開している。
東京都出身。千葉県立東葛飾高等学校卒業。1987年3月、成城大学文芸学部卒業。同年4月、毎日放送 (MBS) にアナウンサーとして入社。同期に、同局アナウンサーの関岡香(旧姓・鈴江)、テレビディレクターの斉加尚代と榛葉健がいる。入社以来数々のテレビ番組やラジオ番組に出演。ラジオでは前任者の吉田智子に代わってクロージングのアナウンスを担当していた。阪神・淡路大震災の発生当日には、MBSテレビのローカルで一番早く顔出しで速報を伝えたが、これはラジオニュースに備えてたまたま早朝勤務していたからであると毎日放送の阪神大震災回顧資料に載っている。
映画に造詣が深く、水野晶子とともに毎日放送深夜の映画情報番組『シネマチップス』(1991年~1995年)でナビゲーターを務めていたこともある。しかし1995年4月、この番組で椎名誠の監督映画『白い馬』をMBSが協賛していたにもかかわらず「この監督はモンゴルのことを分かっていない」と貶したことで、番組は打ち切りに追いやられた。この「シネマチップス事件」[注釈 1]を1つのきっかけに、1995年の琉球朝日放送(QAB)の設立とともに同局へ移籍した。その後は長年にわたりローカルニュース(「ステーションQ」[4])のキャスターを担当したほか、沖縄県の歴史・社会問題をテーマにドキュメンタリーの取材や制作にも携わっていた。2003年沖縄国際大学大学院修士課程修了[5]。2011年に放送ウーマン賞2010を受賞する[6]。
朝日放送(ABC)の『パネルクイズ アタック25』2000年3月26日放送分の25周年記念クイズ大会第4弾「系列局女子アナ大会」に宮城さつき(当時琉球朝日放送アナウンサー)とともに琉球朝日放送チームで参加し、21枚もの大量リードで優勝した。しかし、最後の名物VTR問題で「山本容子」を答えられず、優勝賞品の獲得を逃している。
2013年には、3月28日に古巣・MBSラジオの『With…夜はラジオと決めてます』内「ニュース深掘り」に電話で出演、8月9日の『報道するラジオ』では、「平和を考える~沖縄」と題した特集コーナーのゲストとして生出演も果たした。
2014年3月に琉球朝日放送を退職し、フリーランスとして独立[5]。同年7月から『マガジン9』で連載を持つようになる[7]。2015年に「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」、2017年に「標的の島 風(かじ)かたか」を制作した。新作の映像作品を関西圏の映画館で公開する場合に、MBSラジオの番組(主に同局アナウンサー時代の上司・伊東正治がパーソナリティを務める番組)へゲストで登場している。
2018年、元同僚でジャーナリストの大矢英代との共同監督作品『沖縄スパイ戦史』[8]が、文化庁映画賞優秀賞、第92回キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門1位など多数の賞を受賞した[9]。
2020年に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)で第7回城山三郎賞受賞。