ヴィルフレット・ボウマ (またはバウマ 、Wilfred Bouma 発音 , 1978年 6月25日 - )は、オランダ ・北ブラバント州 ヘルモント 出身の同国代表 サッカー選手 。ポジションは左サイドバック及びセンターバック 。
経歴
クラブ
初期
北ブラバント州 のヘルモント に生まれたボウマは、アマチュアのSV Rood-Wit '62でキャリアを始め、1994年にPSVアイントホーフェン の下部組織に入団した。ア・デモス 監督の下で1994年10月26日のヴィレムII 戦(1-2敗北)で初出場を飾った[ 2] が、長期間に渡り出場機会が限られたものだったため、1996年に同国2部 のMVVマーストリヒト へと貸し出されると18試合7得点を記録し、1997-98シーズンは1部の舞台で33試合6得点を記録。1998-99シーズンのフォルトゥナ・シッタート への期限付き移籍で印象づけるのに成功し、PSVへの復帰が決定した。
PSV復帰
PSV復帰後は、当初左サイドハーフでプレイをし、時にはルート・ファン・ニステルローイ やアルノルト・ブルッヒンク と共に前線を形成。同1999-2000シーズン終了後にアーサー・ニューマン がグラスゴー・レンジャーズ へ移籍してから左サイドバックにポジションを変更し、デンマーク代表 のヤン・ハインツェ とポジション争いを繰り広げるようになった。2004-05シーズンにはフース・ヒディンク 監督の下でプレイする中でセンターバックに変更している。
アストン・ヴィラ
2007年アストン・ヴィラでの試合前のボウマ
移籍市場終了間近の2005年8月30日に移籍金350万ユーロでアストン・ヴィラFC と契約を締結[ 3] 。ヴィラ・パーク での1季目 は、怪我に悩まされたことでなかなか地位を確立することが出来ずにいたが、デヴィッド・オレアリー 監督からマーティン・オニール 監督に交代した2季目 は、ハムストリングの負傷のため左サイドバックにガレス・バリー が起用されていたが、負傷から回復後はバリーを控えに追いやり、公式戦28試合に出場と地位を確立。また、力強いタックルによりサポーターから根強い人気を博した。出場76試合目となる2008年2月9日のニューカッスル・ユナイテッドFC 戦で48分に初得点にして同点弾を挙げ、その後ヨン・カリュー のハットトリック により4-1で勝利した[ 4] 。この2007-08シーズン にボウマはリーグ戦で全38試合に起用され、代えのきかない存在となっていた。
脚の負傷
UEFA EURO 2008 終了後にクラブへ戻ってきたボウマは、オーデンセBK とのUEFAインタートトカップ 2008 (英語版 ) 3回戦で両試合に出場したが、ホームでの第2戦で相手FWベイェ・ジビー・ファル (en )に対しタックルをしようとした際にスパイクが芝に捉えられ、足首に重傷を負った[ 5] 。怪我は足首脱臼と判明し10月に復帰することが予想されたが、回復まで相当な時間がかかり、ボウマの復帰を待望するサポーターからチャントが歌われた[ 6] 。そのような状況下にもかかわらず、2008年9月9日に契約を2年+3年目のオプション付きで延長した[ 7] 。
2009年1月に同じく長期離脱しているカリューと共に練習に復帰することが発表されると、2月16日にリザーブで復帰する予定だったが、違和感を感じたために急遽取りやめになった。3月2日にチェルシーFC とのリザーブの試合(4-3勝利)で先発フル出場で復帰を果たしたが、4月に足首の負傷を再発したことで手術を受けることになった[ 8] 。9月16日、最初の負傷離脱から1年2ヶ月ぶりにフル練習に復帰することが発表された[ 9] が、負傷の心配はまだ終了していなかった。トップチームへの復帰を模索する中で11月につま先を負傷し、再離脱することが決定した[ 10] 。
2010年1月29日に最初の負傷離脱から1年半ぶりにフル練習に復帰することが発表され、2月にはリザーブの試合で90分フル出場をする[ 11] も、トップチームでの出番は訪れず、2009-10シーズン 終了間際の5月6日に退団することが確認された[ 12] 。そして、ホームで行われたリーグ最終戦のブラックバーン・ローヴァーズFC 戦でハーフタイム中に登場し、サポーターに感謝しながら別れの言葉を送った[ 13] 。
PSV復帰
自身のキャリアを復活させるため、2010年6月26日にフレット・ルッテン 監督率いる古巣PSVのトライアルに参加していることが確認され[ 14] 、移籍したカルロス・サルシド の代役として8月30日にクラブと2年契約を締結した[ 15] 。VVVフェンロー 戦(3-0勝利)で復帰後初得点を挙げ、ライバルのフェイエノールト 戦(10-0勝利)では66分まで出場し、歴史的大勝に一役買った。アウェイのVVV戦(3-0勝利)でも得点を挙げ、リーグ戦出場16試合で3得点と高い得点力を見せた。2011年3月24日にUEFAヨーロッパリーグ 2010-11 のリール 戦(3-1勝利, 2試合合計5-1勝利)では、試合終了残り5分からキャプテンマークを譲り受けた。
2012年10月4日にUEFAヨーロッパリーグ 2012-13 のSSCナポリ 戦(ホーム3-0勝利)に出場したことでハインツェとウィリー・ファン・デ・ケルクホフ を抜かし、PSVの欧州カップ戦最多出場記録を76に更新した[ 16] 。怪我に悩まされたアストン・ヴィラ時代と打って変わり、主力選手として貢献したのが認められ、5月24日に契約を1年延長された[ 17] 。しかし、2012-13シーズンはティモシー・デライク (en )の控えにまわった。同シーズン終了後の2013年5月16日、新シーズンの指揮を執るフィリップ・コクー 新監督から構想外が言い渡され退団が決定した[ 18] 。
代表
ルイ・ファン・ハール 監督の下、2000年9月2日に2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 のアイルランド 戦(2-2)で同僚のブルッヒンクと共にオランダ代表 初出場を飾った。ディック・アドフォカート 監督の下でUEFA EURO 2004 の一員に選出され、センターバックとして4試合に出場した。その後は負傷により遠ざかっていたが、2007年2月のロシア ツアー、2007年6月のアジア ツアー、UEFA EURO 2008予選 と定期的に起用されていき、UEFA EURO 2008 の一員に選出された。EURO 2008ではフランス 戦に78分から、ルーマニア 戦に90分フル出場で2試合に出場した。また、UEFA EURO 2012 でも一員に選出された。
オランダ代表では2得点を挙げており、2004年6月19日にEURO 2004のチェコ 戦(2-3敗北)と、2004年10月10日に2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 のマケドニア 戦(2-2)で記録した。
タイトル
クラブ
PSVアイントホーフェン
MVVマーストリヒト
アストン・ヴィラFC
脚注
^ “Wilfred Bouma - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/bouma-intl.html
^ "PSVが2選手との契約を延長"
^ "Villa land Dutch defender Bouma"
^ "Aston Villa 4-1 Newcastle" BBC Sport
^ "Horror injury for Villa's Bouma"
^ "Bouma's Delight"
^ "Aston Villa reward Holland defender Wilfred Bouma with new contract"
^ "Ankle injury ends Bouma's season"
^ "Bouma resumes training for Villa"
^ "Aston Villa dealt Wilfred Bouma setback"
^ "Aston Villa boosted by Wilfred Bouma return"
^ "Bouma shown the exit door by Villa"
^ "Bouma thanks Aston Villa fans for emotional farewell"
^ "Aston Villa: Wilfred Bouma offered trial at PSV"
^ "Bouma seals homecoming to PSV"
^ "Record brengt Bouma in kielzog Blind en Van de Kerkhof"
^ "Routinier Bouma plakt er nog een jaar aan vast bij PSV"
^ "PSV neemt na dit seizoen afscheid van ervaren Bouma"
外部リンク